招かれざる客(バーボン)

 

 

 

 

 

 

 

 

鍵を回す音がした。
部屋の合鍵を持つ人間は限られている。ボスが訪れることはまず有り得ない、ジンはドイツに発つところだと先程ウォッカから電話で聞いたばかり、ということはベルモットが予定より早く帰国したのだろう。暫くは出前飯だと思っていたのにどうやら今夜は美味しいものが食べられそうだと浮き足立つ。デスクチェア────長時間座っても全く身体がつらくならないこだわりの────から立ち上がり、仕事部屋としている部屋を出た。

結論から言うと、リビングに居たのはベルモットではなかった。入るべき家を間違えた哀れな窃盗犯かというとそれも違う。けれど殺されても文句は言えない招かれざる客であることに変わりはない。

「こんにちは。あまり驚かないんですね」

銃は奥の部屋に置いてきてしまった。殺傷力が高い武器になりそうな調理器具は全て侵入者の背後にあり、果たして腕っぷしだけでこの男に隙を作れるだろうか。可能性を探し視線を巡らせる。

「顔付きが不穏ですけど、怪しい者では……」
「怪しい奴は皆そう言うよ」

反射で返せば何が面白いのか目の前の男は楽しそうに笑った。探り屋バーボン。侵入者は、そう呼ばれている男だった。

「何でここに居るの。どうやって入った。そもそも家を教えた覚えないんだけど!」

尤も、家と言っても組織が用意した仮住まいに他ならず、自分名義で借りているわけではない。セキュリティはしっかりしているはずで容易にピッキンングできるような作りではない。どうやって入ってきた。それよりも納得がいかないのは何故ここを知られているのか。探られるのが嫌で送迎させた覚えもない。尾けられたのだろうか。そんなヘマをした覚えはない。ならば誰かが情報を漏らしたか、データベースが探られたのどちらかだ。前者ならまだ良い。後者ならば最悪を考えなければならなかった。自分が管理しているからと甘く見ていたのかもしれない。さて、どう出るか。

「随分と警戒されてしまってますが……今日は悪さをしに来たわけではありませんよ」
「……だったら何をしに来たの?」
「何って、一人だとロクに食事も取らない貴女の健康管理の為に」

何もしない、のポーズなのか両手を顔の横で見せながら、視線でテーブルに置かれた物を示した。何を置いていた記憶もないのでバーボンが持ち込んだのだろう、それはスーパーの袋だった。

「ジンもウォッカもベルモットも暫く不在でしょう。彼女は貴女を心配していましたよ?」

……裏切り者はベルモットのようだ。

「食生活が破綻してるから体力が無いんですね。先日の任務の時も、大した長丁場でもないのに途中からふらふらとしてパーティ料理に気を取られ集中力を欠き、挙げ句の果てには靴擦れを起こす始末。組織は人手が足りないんですから、また外に出る事もあるでしょうし、少しは外に慣れて貰わないと困ります」
「なら私と組まなくて済むように言っておいてくれる?」
「いいえ、まさか。結果に不足はありませんでしたから……次回があれば、また宜しくお願いしますね」
「無いように願っとく。それで、お小言を浴びせに来たならもう気は済んだでしょ。お帰りください」
「嫌だな、用件なら初めに伝えたじゃないですか」

ぱっと笑うと共に両手を下ろし、買い込んできたらしい食材の調理を始めた男は、台所借りますねと 、言ってカウンターに向かった。如何にも手慣れた様子で用具を取り出す様に寒気を覚える。訝しんで見つめていれば「どこのキッチンにも、ある程度の法則がありますから」と笑った。
こめかみを抑え、深呼吸代わりに大きく溜息を吐き出した。

「貴方と話すと疲れる……」
「僕は貴女と居ると楽しいですよ。ほら、いつまで突っ立ってるんですか? こっちに来て」

仕方なし重い身体を引き摺ってテーブルに着く。自分の住処であるはずなのに、どうして指示されているのか。決して細かくはない事象も今は諦めるしかないらしい。そうする他なかった。時には諦めが肝心だ。ベルモットに言われて来ているのであれば、まさか食事に変な薬を混ぜることもないだろう。問題は彼の料理の腕だ。果たして期待できるんだろうか。

「これでも料理には自信があるんです。バイト先でも評判なんですよ。またそちらにも来てくださいね」
「馬鹿じゃないの。どこの馬鹿がコードネーム二人揃ってそんな往来で密会するの」
「密会って響き、良いですね。ですが、それなら仕事のない日に人気の無いところで密会しましょうか」

……ベルモット、帰って来たら覚えてろよ、と恨みの念を送りながら、もう一度深い溜息を吐いた。

結論から言うと食事の味は悪くなかった。食後の珈琲を口にしながら、率先して片付けまで行うバーボンをじっと観察する。

「驚いた。貴方、本当に料理するのね」
「そのクッキーも作ってきたんですよ」
「へえ……」

小皿に出されたクッキーを摘み上げて凝視する。普通に市販品かと思っていたのに、お菓子作りまで熟すとは芸の細かいことだ、と感心する。同時に、どこまでが素なのか分からず胡散臭い、とも思った。手に取ったソレを一口齧ると、ほのかに甘く、口の中でほろほろと解けた。これは定期的に差し入れてもらってもいい。

「さて……食後の運動に、散歩でもしましょうか」
「しない」
「食生活だけでなく運度不足も危惧してるんですが」
「私はここから出たくないの」
「ならベッドでの運動を手伝いましょうか」

取り出した銃の撃鉄を下ろし、テーブルの正面へ向けて構えた。その相手は銃口を向けられても平然としている。

「やだなぁ、冗談ですよ」
「冗談に聞こえなかった。いくら貴方が有能な手駒でも、襲われそうになったから撃ち殺したって言えばボスも許してくれると思うの」
「いつの間にそんな物騒なもの持ち出したんです?」
「いつまでも丸腰で居るわけないでしょう」
「襲いませんからそれを下ろしてもらえませんか。それに、せっかくの珈琲が冷めてしまいますよ」

シェルターの中だからといっていつも安全とは限らない。用意は周到であるに越したことはない。とはいえ、住居を汚すのは本意ではないから目的は牽制だ。相手が諦めてくれたならそれで構わない。膝の上に銃を戻しブレイクタイムを再開した。
あまり長くゆったりとした午後を過ごすつもりはない。時間に追われているわけではないがやることがないわけでもない。用件を済ませたならさっさと帰ってほしい。そんな思惑を込めて視線を送ると「心配せずともそろそろ退散しますよ」と返ってきた。どうやら彼の今日の任務は完了したらしい。立ち上がり、出入り口へ向かう彼の後を歩く。

「お見送りありがとうございます」
「勝手にうろうろされたくないだけ」

壁に体重を預けて、彼が扉を開く様を眺める。最初から最後まで貼り付けたような笑顔を崩そうとしない、胡散臭い男。

「それじゃ、お邪魔しました。また来ますね」
「来なくていい。けど、まあ…………美味しかった、ごちそうさま」

ベルモットに頼まれて来ているのであれば報酬を受け取っているのだろう。重ねて礼をするつもりはない、が、素直な感想だけ最後に述べる。すると彼は分かりやすく目を瞬いて、驚きました、という表情を作った。そして嬉しそうに目を細めた。

「……喜んでいただけたなら何よりです」

招かれざる客が帰った後は戸締まりを忘れない。鍵はベルモットから借りたと言っていたが、万が一を考えて変更した方がいいだろうか。しかし、面倒くさい。鍵を変えたら各メンバーにも知らせないといけないし、ジンに理由を聞かれたら説明するのも面倒くさい。ベルモットの仕業でこちらは完全に不可抗力であるとはいえ、バーボンを 部屋に入れたとなればお説教を食らうことは間違いないだろう。どうしたものか。暫し逡巡して、考えるのをやめた。
それからバーボンはこちらの意に介さずたまに部屋へ訪れるようになった。初めこそ抵抗を試みたものの、やがて諦めてしまった。バーボンの手土産は他の誰とも異なっている。手作りのプリンやアイス、シフォンケーキやスコーン……時には材料を持ち込んで作ることもあった。決して餌付けされたわけではないが、食べ物に罪はない。

 

 

 

 

月が見ている(バーボン)

 

 

 

 

 

 

 

 

「仕事してよ、バーボン」
「パートナーを気遣うのも、今夜の僕の立派な仕事だと思いますけど」

半分は皮肉で、半分は心配でそう返せば、彼女は不服そうに眉根を寄せた。
男なんて幾らでも手玉に取れそうな顔をしているのに、ドレスにハイヒールは履き慣れていないらしい。得たかった情報はもう手に入れているのだからこれ以上この会場に居る必要はない。なのに、彼女の考えはそうではなく、もう一押しで得られるものがあると思っているようだけれど、急いては事を仕損じるし、何より普段は外に出ない彼女にこれ以上こんな役目をやらせたくはない。ふらついた彼女を支える役目を他に譲りたくはなかった。

「どうぞ、こちらへ」

観念したのか、彼女は大人しく差し伸べた手を取った。会場の喧騒を離れて、庭園へと繋がる階段を降りる。触れる手で引き寄せてその身体に指を這わせたい衝動に駆られるけれど、そんな事をすれば彼女は二度とこの手を取ってはくれないだろう。

「だからベルモットを連れてくればよかったのに」
「あのひとは面が割れているんです。言ったでしょう」
「……分かってる」

噴水の影、会場を背にした淵に彼女を座らせる。正面にしゃがみ込み、その左足を裸にした。案の定、踵は擦り切れて血が滲んでいる。残念ながら絆創膏を携帯しておらず、さてリップクリームはあっただろうか、と思案するも、それを塗り込む事を彼女は嫌がるかもしれない。結局のところ、彼女を連れ出したところで、自分に出来る事は何もないのだ。
傷をなぞれば、彼女は痛みに顔を歪めた。

「……ッ、ちょっと。今の、わざとでしょう」
「すみません、つい」

傷が本当かどうか確かめたくなったので。
笑いながらそう告げれば、彼女は怒り、その足を振り上げる。避けるために立ち上がって後ろに下がった。彼女の装備は手にしたまま。彼女に僕を追う事は出来ない。

「慣れない靴を履いて、間抜け過ぎる。やっぱり貴女NOCなんじゃないですか?」
「……そういう貴方こそ、バカな女を気にかけるなんて、NOCだと疑われても仕方ない」
「なら、裏切り者同士でお似合いですね。手を組みますか?」
「遠慮するわ。命が幾つあっても足りない」

誘いはあっさりと断られた。もとより、本気でかけた言葉ではない。けれど、NOCではないか、と疑っているのは本当だった。分かりやすい理由を掲げて組織に居る人間など居ないけれど、彼女に関しては特別、謎が多すぎる。
彼女は、普段は飼い殺されて(本人の怠慢もあるだろうけれど)滅多に外へ出ない。デスクに向かってさえいれば優秀な人間である事は確かだけれど、ジンが執着する程の人材であるとも思えなかった。男女の関係としての執着であれば、簡単だった。彼女が一人で外を歩かせてもらえない理由がそれであれば、ジンを笑うだけで済む。
けれど、そうではなく、シェリーが消えた理由について彼女が何らかの鍵を握っているからではないか……というのが、これまで彼女を見て導き出される推測だった。証拠なんて何もなく、推理と言える根拠もない。それでも、ジンがそう疑っているのは確かだ。彼女が組織に打ち込む楔のひとつであるのなら、暴いてこちら側へ引き込みたい。それには相応のリスクが伴うだろう。自分を曝け出さずに暴ける相手ではない。

「ねえ。もう靴を返して」
「こんなところ、貴女には似合わない」
「そうね。こんなドレスまで着て、私の仕事じゃないと思う」
「ドレスはよく似合っていますよ。今日の為に選んだんですか?」
「知らない。ジンが用意してくれたの」
「……へえ」

ウォッカならともかく、あの男がそんな事をするだろうか。いや、しないだろう。他の人間にならば。ならば何故、の答えは明確だった。彼女だからだ。
酷く、濁った感情に覆われるのを自覚した。こんな些細な事で血を流す彼女は組織に向いていない、きっとNOCに違いない、なんて全て馬鹿げた妄執に過ぎない。そうだったらいいのに、なんて、確かな証拠も見つけられないのは、事実がないからに他ならないのに、僅かな希望に縋っている。もうずっと、執着しているのは、誰だろうか。

「……バーボン?」
「いえ、すみません。こちらはお返しします」

少し休んだだけでも楽になった、と彼女は苦笑する。痛々しい傷口にまた原因をあてるのは忍びないけれど、抱き上げて会場に戻るわけにもいかない。話をしたくて庭園に連れ出したけれど、さっさと退場すべきだった。早く彼女を帰そう。
再び彼女の前に跪き、その足に靴を嵌める。月に照らされる白い脚。触れてはいけないものに触れている気がした。自然と、その足首に唇を寄せる。

「ちょ……っ! バーボン!?」
「……戻りましょうか」

何事もなかったかのように立ち上がり、手を差し伸べる。彼女は顔を赤くし、口をはくはくさせている。そんなに簡単に感情を出すのに、よくこんな仕事を回されたものだ。本当に、向いていない。
やっぱりNOCに違いない、絶対に証拠を見つけて、暴いて、彼女を守ろう、と盲目にもそんな事を思う。スコッチが聞けば、呆れ顔で頭を抱えるに違いない。