Go! Our Hero(爆豪勝己)

 

 

 

 

「……別れたつもりは、無かったんだけどな」

陳列された週刊誌の表紙に『破局!!』の見出しに並ぶ、プロヒーロー爆心地と自分のヒーロー名。お互いに筆まめではない彼とは仕事にかまけて暫く連絡を取っていない。しかし、気付けばあれから三ヶ月が経過しようとしていた。原因すら覚えていない、些細な喧嘩で飛び出した夜が最後だった。そうか。私たち、別れてたのか。

自分が週刊誌にネタを与えた記憶はないから、彼の吐いた悪態が盗み聞きでもされたんだろうか。口喧嘩なんていつもの事だったし、最近少しだけ忙しくて、だけど逢わずとも連絡を取らずとも活躍はいつもテレビや何やで確認出来ていたから気にしてなかった。
けれど、それすら一番新しい記憶がいつだと問われれば朧だ。長い付き合いとはいえそんな事すら曖昧になるなんて。高校二年の時に付き合い始めて、プロヒーローになって…もう何年になるだろう。何年だったんだろう。これは、振られた事になるんだろうか。振られた。そうか、振られたのか、私。
胸にぽっかりと穴が開く、という言葉を使うに相応しい感覚。
ヒーローにあるまじき事だけれど、その日は何をどうして過ごし、いつ家に帰ったのか、いつの間に眠りについたのか、何も覚えていない。気付けばベッドに沈んだ身体が心と一緒にずぶずぶと深いところに落ちていってそのまま二度と浮上する事はないんじゃないかと思えたけれど、それでもお腹は空くし日は昇る。昇っていた。毎朝同じように鳴るアラームがその日もけたたましく朝の訪れを告げる。のろのろと起き上がり向かった洗面所で鏡を覗けば、そこに写るのは確かに、失恋したんだろう女。

「……酷い顔」

紛れもない独り言を口に乗せる。自嘲すればまた涙が滲みそうになるけど、押し留めるように冷水を顔にぶつけた。顔を洗って、歯を磨いて、コスチュームを身に着けよう。世の中には失恋休暇なる制度が存在する会社もあるらしいが、プロヒーローには無縁の話だ。敵はそんな事情に気を遣ってはくれない。

毎日が平和であればいい、とそう願ってやまないのに、いつも誰かが邪魔をする。それでも今日はマシな方だ。あっさりと降参を告げた敵を警察へと引き渡し立ち入り禁止のテープを抜ければ、交戦を聞きつけ集まった記者たちは、たまたま出くわした旬のネタに目を輝かせてマイクを向ける。それは戦闘よりずっと大きな疲労を与えてくれた。何を話すつもりもない。適当にかわし、現場を後にした。

プライベートに干渉しない事務所の方針はこういう時に有難い。そして、週刊誌の記者が臆して気軽に突撃できないところも良い。追われる事なく所属するエンデヴァー事務所に戻れば、『心配』と顔に書いたようなショートがこちらの様子を伺っていた。言葉にせずとも、言いたい事があまりに分かりやすく、思わず噴き出してしまった。

「大丈夫だよ」
「……そうか。そば食うか?」
「食べる。天ぷらも付けようね」

久し振りに、熱燗も悪くない。汗を流して、美味しいごはん。最高じゃない?
破局報道の後では軽率とも取れる行動も同僚との食事程度、特に取り沙汰される事も無い。一日頑張った身体を労おう。

ロッカールームに戻り、落ち着いたところで半日ぶりに開いた携帯は沢山の通知で埋まっていた。殆どが雄英の同期達からで、例の週刊誌、そしてワイドショーのネタを心配してのものだった。そういえば昨日から、アラーム以外にも携帯が鳴っていた気がする。女子で組まれたグループの会話には『とりあえず集合! 飲もう!』と三奈。
とはいえ今夜すぐに、というわけにもいかず、予定は週末に組み込むことにして、今日は先ほどの会話通りに寄り道をした。

「お蕎麦、美味しかったね」

店を出て身体を伸ばせば、隣の彼が無言で頷く。省エネが基本である焦凍と過ごすのは気が楽だ。こんなときは特に。……何で別れた、とか何があった、とか。聞かれて、話して、惨めに泣かなくて済む。たわい無い会話が日常を取り戻してくれる。大丈夫。私は、大丈夫。

「また明日な」

ひらりと振られた手に振り返し夜道を歩く。また明日。めっきり使う事の減ってしまった一言だ。あの頃は、当たり前だったのに。いつからか、遠くなった。

週末の夜、女子会だとばかり思っていた集まりに少し遅れて顔を出せば馴染みのある顔触れが勢揃いしていた。「顔が暗い! 生きてるか?」と頭から失礼な上鳴くん。既に出来上がっている様子で、飯田くんに早速お叱りを食らっている。「来れて良かった〜! 敵と戦闘になったって聞いて心配してたんよ」と飛び出してきたのはお茶子。

「あれ、大きい事件でもなかったのに。ニュースなってた?」
「違う違う。轟くんから」

奥を見遣れば、いつも以上に遠くを見ている同僚がいた。これは既に相当飲んでいる。

「焦凍、来てたの。言ってくれれば良かったのに」
「知ってると思ってた」
「オイオイ、お前らよ〜! いつの間に名前で呼ぶような関係になっちゃってるわけ!?」

いつの間にも何も、私が所属するのはエンデヴァー事務所だ。「轟」くんは一人ではないし、勤務中はヒーローネームで呼び合うようになって自然と私生活でも下の名前を呼ぶようになった。そう端的に説明するけれど納得された様子はない。「まあ、座れよ」と促す瀬呂くんに従い、座敷に腰を下ろす。

「で? 何で別れたのよ」
「ここんとこずっと爆豪ちょー不機嫌! と思ったら原因はやっぱお前だったか」
「よくあの爆豪が手放したもんだよなぁ」

選択肢なく中ジョッキを手渡され早速、矢継ぎ早の本題。分かっちゃいたけど。何でも何も……そんなの、私が知りたいくらいだ。

「終わったもんは仕方ない! プルスウルトラの精神で仕事に打ち込むだけよ!」

駆け付け一杯よろしく、空けたジョッキを机に勢いよく机に戻す。

「おお……相変わらず男前」
「から元気でも元気ならええよ」
「轟ぃ~。コイツのこと頼んだぜ」

ちょっと、何で焦凍に頼まれるの。ジト目を向けた方向では、潰れかけた焦凍が親指だけを立てていた。
そのまま潰れてろ、なんて胸中とはいえ悪態を吐いたことがいけなかったのかもしれない。頼まれたのは、寧ろ私の方だった。完全に夢の向こうへ行ってしまった焦凍。その肩を支える切島くんと共にタクシーを待つ羽目となる。破局話を早々に切り上げ、皆の近況報告会に変わった飲み会は、久し振りに集まれたという事もあって良い時間だったと思う。そこにたった一人足りないのは、仕方ない事だしそもそも集まりに素直に顔を出すような奴じゃないけれど。

「……切島くん、最近アイツに会った?」
「いいや。今日も元々は男どもだけで話してたんだけど、爆豪は未読スルーでさ」
「そっか……」

きちんとした別れの言葉がないだけに、自覚が全然ないままだったけれど、こうして皆と話すと嫌でも現実なんだ、と思い知らされた。彼が今どこにいるのかも分からない。

もっとちゃんと、好きだと伝えておけば良かった。約束も何もなかったけど、このまま結婚すると思ってた。それくらいずっと一緒だったし、隣に居る事が自然で。喧嘩はしょっちゅうだったけど、いつだって仲直りできると信じて疑わなかった。大好き、だった。だった、なんてまだ過去形で語れない。当たり前だ。まだ。
あー、やばい泣きそう。堪えろ堪えろ。夜風は悲しみを攫ってくれない。やがて停まったタクシー、押し込まれた焦凍の隣へ乗り込んだ。

「あんま無理すんなよ、」
「ありがとう。おやすみ、またね」

苦笑する切島くんに、ちゃんと笑えていただろうか。無理してる、なんて。皆にはお見通しだったのかもしれない。つくづく、良い友人たちを持ったものだ。
重い頭を肩で支えて、運転手さんに1つ目の住所を告げる。酔ってふわふわした頭が、今夜は楽しかったなとか、でも帰ってそれを伝える相手はもう居ないんだな、とか余計な事を考え始める。耐えた筈の涙がまた滲んで、視界がボヤける。触れている焦凍に響かないよう、静かに鼻をすすった。

「焦凍、起きて」
「……むり」
「無理、じゃない!ああ、もう……運転手さん、少し待っていてもらえますか」

鍛えてて良かった。自分よりデカい男の肩を担ぎ、引き戸を開ける。鍵は勝手に取り出した。靴を脱ぐように促せば、ぼんやりと意識はあるらしく緩慢な動作ながら指示に従ってくれた。

「お」
「えっ」

和の作り特有の広い玄関。段差を上がろうとして、ふらついた焦凍に引っ張られる形で2人取次ぎに倒れ込む。後頭部を強打した上、潰れたカエルになる未来が見えた。

「……あっぶね」

しかし、訪れると思った衝撃はなく、咄嗟に瞑った目を開けてみれば端整な顔がこちらを見下ろしていた。

「わりぃ、大丈夫か」

背中と頭に添えられた手が、カエルへの変身を防いでくれたらしい。

「だ、だいじょうぶ……」
「そうか」

吃りながら返せば、背にあった手までもが頭に添えられる。床に落ちた髪に指が差し入れられ、そっと頭を撫ぜた。酒は互いに抜け切らない。

「そうか。良かった」

零れる笑みが心臓に悪い。焦凍は酔いを孕んだふわふわとした表情で、私の頭を撫で続けている。いかん。これはダメだ。同僚の距離感じゃない。

「焦凍……? あの、起き上がれる?」

声を掛ければ、こくりと頷いて身体を起こしてくれた。但し解放はされぬまま、腕の中に収められて床に座り込んでいる。

「た、タクシー待たせてるから。行かないと」

しょぼん、と書いたような顔をされたけれど、やんわりと胸を押し返せば回された腕は漸く離れた。

「そうだな……。弱ってるとこつけ込んでもいいけど、後で殴られそうだからやめとく」

殴られる、って誰に。

「何もされないうちに帰った方が良い」

それもまた、誰に、誰が。
混乱しながらも立ち上がれば、ある程度酔いの覚めたらしい焦凍に今度はグイグイと外へ押し出される。

「最近、休みなかっただろ。色々と鈍ってるんじゃねぇか? 明日の非番、ゆっくり休んで何すべきか考えろ」

突然の饒舌。何か返そうと逡巡しているうち、ピシャリと引き戸が閉められた。

「……何なの、もう」

有事の際は、ヒーローに非番なんて存在しない。つまり、穏やかな休日は訪れなかった。全ての問題に出動するわけでもないが、アラートを確認する限り、騒動は此処からかなり近い。ならば、取る行動は一つ。敵は待っちゃくれないのだから。コスチュームを身に付け、自宅を飛び出し現場に向かった。

個性の暴走、だろうか。巨大な敵がビルを薙ぎ倒そうとし、先に駆け付けた何人かが応戦していた。その中で一際目を惹く、一人のヒーロー。随分と久し振りに見る姿だった。聞き慣れてしまった悪態を吐きながら爆風を起こし、ビル程もある敵の眼前に迫っている。現場で会う事なんて、これまで殆ど無かったのに。
敵は群がるヒーローを薙ぎ払い、身体を振るった反動でその巨体はビルを叩く。そうして敵の視界から外れた一瞬を狙い、彼から放たれた榴弾。あっという間に、相手を戦闘不能に追い込んでしまった。私の出番ナシ。
しかし相変わらず派手な戦闘、周囲に与える被害も甚大で、巻き込まれた民間人を保護する役目に回った。その間に、巨体は見る影もなく萎んでいた。

事態が収束した現場では、集まってきた記者たちがテープの向こうで声を張り上げている。対象は勿論、ヒーロー爆心地。……と、私か。警察への報告は終えた。場を後にしたいのに、囲む記者がそれを許してくれない。今日は一言も交わしていませんね! 元恋人の活躍への心境は! なんて。人気商売という一面もあるヒーロー活動とはいえ、こんなときは悪態も吐きたくなるというものだ。それとも涙の一つでも流せば、同情を買えるだろうか。そんなみっともない選択、どれも本当に取るつもりはないけれど。

すみません、取材にお答えできる事はありません────そんなテンプレートを口にするも、言葉は途中で遮られてしまう。好感度を考えたメディア向けの対応、なんてこれっぽっちも考えていない、なのに誰よりも格好いいヒーローに。

「外野がゴチャゴチャうるせぇ」

てっきり、報道なんて無視して去ると思っていた。後ろから聞こえるその声だけがクリアに伝わり、他の全ては遠く感じる。

「爆心地さん! 破局後に2人会うのは初めてですか!?」
「壊した建物から民間人を守った彼女へ一言、お願いします!」

足音が、近付いてくる。

「……あ?」

メディア受けの悪い粗暴な声。金縛りにあったかのように動けない。振り返れない。どうすればこの窮地を抜けられるか、と巡らせていれば、急にグイ、と肩を引かれた。

「別れた覚えはねぇよ」
「……え?」

たかれるフラッシュが眩しくて、間抜け面で見上げる事しか出来なかった。

「オラ、帰んぞ」

進行方向に塞がっていた報道陣は気圧され、道が作られる。肩を抱かれたまま歩みを促され引き摺られるように現場を後にした。

「ちょ、ちょっと待って」

向かう方向と事務所は逆方向だ。報告に行かなければならない。というか、状況が把握できない。

「あ? 今日は非番だろうが。放っとけ」
「な、何で知ってるの」

当然の疑問を口にしただけなのに、舌打ちを返された。

「うっせぇ。どうせ大した動きもしてねェだろ。いいから来いや」

確かに戦闘したわけでもなければ負傷したわけでもないけど、言い草!
相変わらずの横暴さに頭を抱える。けれどそれでキレるほど、短い付き合いでもない。向かう先は恐らく彼の自宅。いいだろう、腹を括ろう。溜息を吐きながらも歩を進める事に決めた。

「ほんと、自分勝手……」
「あ?」
「何でもない!」

「……勝己。かーつーき!」
「だああ! 聞こえとるわ!」

だって返事が無かった。耳を引っ張ってみたら怒られた。
無言の気まずい道中を乗り越え、今はもう他の誰も居ない空間。もう何度も来た事のある、彼の部屋に辿り着いて、無言でシャワーを浴びにいく彼を見送り、こちらも慣れているものでコスチュームから部屋に置いていた服に着替え、勝手にコーヒーを飲みながら一息入れて……、気付けば小一時間。やっと戻ってきてソファに腰を下ろしたかと思えば一瞥もくれず今度は携帯を触り始めたのだから、痺れを切らしても仕方がない。
それにしても、部屋が随分と片付いている。整理が完璧なのはいつもだけれど生活感が薄いのは、もしかして。

「家に帰ってなかったの?」
「海外で仕事だつったろ!?」
「え、聞いてない」
「言ったわ!!」

つまり、この数ヶ月ずっと日本に居なかったと。そういえば報道でも暫く見かけなかった気がする。

「先週には戻ってた。興味無さすぎだろ」
「そ、そんな事…。だって、切島くんたちも何も言ってなかったよ!?」
「知らねえと思わなかったんだろ」

喧嘩して、冷戦期間を置いて、どちらからともなく逢いに行くのがいつものパターンだった。それが今回たまたま長期化した。忙殺されて、は言い訳か。

「でも、なら連絡くらいくれたって」
「ンな環境になかったんだよ。お前も寄越さなかっただろうが」

ご尤もです。曰く、日本から週刊誌の写真を送られて、キレてその場でスマホを爆破したらしい。未読スルーはそれでか。あの記事何のつもりだ、って私に聞かれても。こっちが聞きたい。

「付け込まれるような隙、見せてんじゃねえ」
「報道は私の所為じゃない」
「……半分野郎は」
「何で焦凍?」

突然出てきた名前に面食らっていれば、深く、溜息を吐かれた。そして続けられる言葉に、さらに混乱を極める。

「エンデヴァーの事務所、辞めろ」
「いきなり何? 辞めないよ」

盛大に舌打ちされる。そりゃ、人気絶頂のヒーロー爆心地に比べて華やかな活躍は出来ていないかもしれないけど、これでも信念を持って活動してる。それを、ヒーロー辞めろ?舌打ちしたいのはこっちだ。

「別にヒーロー辞めろってんじゃねぇ。今の事務所を辞めろ、と言っとんだ」
「同じことでしょ。何でそんなこと言われないといけないの」
「舐めプ野郎が居るだろうが」
「だから、何で焦凍?」
「……もう、いい。無駄だ」

会話が一向に噛み合わない。
またか。いつも、こうだ。別れてない、なんて言ったって、喧嘩ばかりしていては同じこと。顔を上げられない私を尻目に、勝己は立ち上がる。どうしたらいいのか判らなくて膝で拳を握っていると、何か硬いものが頭に投げつけられた。「い、痛い」落ちたソレを確認すると、掌に乗る程の小さな箱だった。

「……何、これ」
「振り回しやがって。ふざけんな。勝手なのはどっちだよ」

いやいやいや、脈絡がおかしい。そんな流れじゃないでしょう。

「うっせぇ。お前みたいに面倒くさい女、他に見ねえわ」
「何よ。飽きなくて良い、って言ってたじゃない」

理解が追い付かなくて、強気に返せば鼻で笑われる。

「まァな。仕方ねえから付き合ってやるよ。一生な。早よ開けろ」

雑に促されるまま小箱を開ければ、予想する通りにリングが光っていた。涙腺が緩む。

「い、意味分かんない。強引過ぎる」
「何だよ、要らねぇんか」

そんな訳ない。

「部屋引き払えよ。家買うから」
「う、好き」
「知っとるわ舐めんなバカ」
「何なの……」

事務所辞めろ、って言ったと思ったら今度はプロポーズ? 家を買う? 一体、何を言ってるんだろう。
ふと、付き合い始めたキッカケを思い出す。明確な言葉はくれない彼だけれど、いつだって態度で示してくれる。気付いた時には好きだった。離れるなんて選択肢、初めから用意されてない。

誰かに話せば結局、ただの痴話喧嘩かよ、と呆れられるだろう。週刊誌にすっぱ抜かれる前に記者会見でも開いてやろうか。そうだ事務所にも報告しないと、なんて、どうでもいいことを考え始める。

「いいぜ、記者会見。ついでに新事務所の立ち上げと移籍な」
「え」

さらに重大な事をさらり、と言われた気がする。事務所の立ち上げ? そこに私が移籍? だから辞めろ、なんて言ったのか。

「いや、移籍はない」
「あァ!?」
「でも、独立おめでとう。そんな大事なこと言ってくれなかったのは少しムカつくけど」
「……色々と準備があるだろうが。うっせぇな。結婚すんのか、しねぇんか」

相変わらず口は悪いけれど、照れ隠しだと知っている。けっこん。そんな言葉がその口から出るだなんて。そんなの、するに決まってる。

「勝己。大好き」
「ハ、絶対ェ俺のが上だわ」

そんなとこでも張り合ってくれるのか。
涙でグシャグシャになった顔で笑い返せば勝己は「汚ねぇな」と馬鹿にしながら、隣に腰を下ろしその胸に私の頭を押し付けた。余裕な表情とは裏腹に、伝わる心音が驚くほど速くて、気付かれないように小さく笑った。敢え無くバレて、舌打ちされた。