[SS] わたしと彼の失恋(降谷零)

わたしと彼の失恋


 

 

「わたし、失恋したみたい」

脈絡もなく切り出した。隣の男の視線が痛いけれど、そう仕向けたのはわたしだった。次の言葉を口にする事なく、手元の缶コーヒーへ手を伸ばせば、やがて降谷も同じようにそうした。

「……そうか」

そうか、って。分かってはいたけれど、それだけか。根掘り葉掘り尋ねてくるような性格の男ではないにせよ、長い付き合いなのだからもう少し興味を持ってくれてもいいだろうに、とは思う。

ずっと好きだったんだよ、貴方の事が。ねえ、知ってた?

聡いはずなのに、自分の事になると嘘みたいに靄がかかるらしい。わたしが周囲にどれだけ揶揄われても本人が気付く事はなくて、わたしもはっきりと伝える勇気はなくて、今日まで来てしまった。
見合い

「君が恋をしていただなんて、知らなかったな」
「言った事ないもの」
「傷付けられたなら、代わりに殴ってこようか」
「ありがとう。でも、彼は悪くないの」

そうか、と降谷は先程と同じように呟いた。
ありがとう。その言葉だけで、わたしは他の人より貴方の近くに在るのだと思える。近くに居ても、伝えない出来事など山ほどにある。最近、ひとつ大きな仕事が終わって肩の荷が少しだけ降りた事、それを機に引っ越しをした事、そこそこ大きな怪我をしたけどもうほとんど完治した事。降谷に会わなかった間にも、時間は当たり前のように進んだ。それは彼も同じだろう。その間に起こった、わたしの知らない彼の出来事はどれほどあるだろう。後から知る、出来事や、ずっと知らないままの事もあるだろう。例えば、見合いをした、という事を知らなかった。そして、それが上手く進んでいるらしい、という事も、今日知ったばかりだ。そんな日に、数ヶ月振りに、顔を合わせるなんて誰が想像しただろう。上手く笑顔を作れなくても、仕方がない。失恋の傷と、長い付き合いなのに他人から聞かされた事で出来た傷のどちらが大きいのか、自分でもよく分からない。けれど、考えても詮無い事だ。長い付き合いでも、他の人より少しばかり近くても、所詮、他人なのだから。彼にも、わたしにも、それがプライベートである限り報告の義務はない。
仕事とは違い、結果だけが全てじゃない、と思えるのが恋のいいところだ。この想いを大切にしまって、もう先へ進もう、と決めた。

「困ったな」
「大丈夫。仕事に支障をきたすほど弱くはないから」
「そういう事じゃないんだ」

そういう事じゃないんだよ、と彼はもう一度繰り返した。その双眸がわたしを捉える。鋭い眼差しに心を掴まれて、ああやっぱりまだ好きだな、と思った。すぐには、心を離せそうになかった。

「……どうして、そんなこわい顔をしてるの」
「すこし、焦ってる」
「降谷が? 何に?」
「どうやら、俺も失恋したらしい。同時に、チャンスでもあると知ったから」