死にたがりの嘘(五条悟)

 

 

 

舌を、絡めとられて、奥まで押し込まれて。大きな手が、背骨をなぞる。まだたったそれだけなのに、もうとっくに立っていられない。逃げようとしても頬を包む手が固定する役割も担って動けない。ようやく離れた唇が上機嫌に弧を描く。少しだけ腹が立ったから、身体を預けるふりして距離を詰めてその瞳を覆う布をずり下ろした。不意を突いたつもりの行動すら読んでいたとでもいうように、目の前の男は飄々とした態度を崩してくれない。露わになった淡い瞳に蕩けた自分が映り込んで、目を逸らしたくなるだけだった。

「ねえ、こっち向いて」
「やだ」
「じゃあ食べさせて」
「もっといや」
「傷付くんだけど?」
「嘘ばっかり」

私ごときに傷付けられる人じゃないくせに。あなたが許さなければ私はあなたに触れることすら出来ないのだから。全てを拒絶することさえ容易なその術式にいつ壁を構築されてもおかしくない。いつかそんな日が来たらどうしよう、なんて不安を抱き続けてることに気付かれているだろうか。聡い人だから、きっと全て知られてしまっている。
それでも今こうして直接肌に触れている、触れられていることに歓喜しながら今一度口付けを受け入れる。こじ開けられるまでもなく開いた唇から舌が侵入して、まるで捕食するように口内を蹂躙する。受け入れたばかりなのにすぐに根を上げて、声にならない声で棄権を訴え胸を押し返した。

「諦めるの早すぎでしょ」
「し、仕方ない、じゃない……ッ」
「なまえにはさ、簡単に諦めてもらったら困るんだよね」

息を整えながら精一杯の言い訳をして、恨みがましく睨み上げると目の前の男はやれやれ、とわざとらしく溜め息を吐いた。

「問題です。なまえは崖から足を踏み外してかろうじてぶら下がっています! 自力で上がることは出来ません。助けようと手を伸ばした僕の背後には何と特級呪霊がうようよ! さて、このあとなまえはどうするでしょう?」
「いきなり何? っていうか、うようよ居たところで余裕でしょ」
「そのルートは除外」
「ルートって何」
「いいから、答えて」

一体突然何の話か。明かされぬまま急かされて仕方なく考えるふりをする。脈略のない話を始めるのは今に始まったことじゃない。腰に回された腕は緩めてくれそうになく離れるのは諦めた。
悟と二人で任務に赴くようなことは今ではほとんど無い。数少ない同級生が減ったばかりの頃はよく一緒に派遣されていただろうか。最強に成った悟にとって、最早お荷物でしかないだろう私を何故同行させるのか、その意味が分からないほど無垢ではなかった。上層部は何をバカな心配をしているのか、その心配は果たして悟だけでなく私にも向けられているものなのか。杞憂だと跳ね返すことはできなかった。暗闇に引っ張られる人間を理解できないわけじゃなかったし、あのときは、私自身壊れてしまいたいと何度も思った。
呪いを抱いて、この力をもって何を壊せるだろうか、何が出来るだろうかと一度も考えたことがないと言えば嘘になる。考えれば考えるほど頭が痛くて、あのときは考えるのをやめた。
我武者羅に鍛えた甲斐あって一級術師として在るようになった今も、悟と私の差は天と地ほどあって埋まることはない。もし自分の存在が身内を危ぶむような状態になれば、取る選択肢は一つしかない。言えば咎められるだろうとは理解していても、ここで嘘を吐くことに意味はない。

「……何もしない。そのうち力尽きて落ちるよ」
「ほらね」

予想した通りの責めるような声色を返される。
だって、仕方ないじゃない。呪術師で在ることを決めたときから畳の上での大往生など望むべくもない。人より長生きしようなどと思わない。かろうじてしがみついて生き長らえてるだけの、弱い人間だ。呪いを祓うことに失敗した、愚かな呪術師だ。
私は、失敗した。祓ったはずの呪いが身体の中に巣食っていると気付いたのは最近のことだ。医者もこうして自分の末期を悟るのだろうかとどうでもいいことを考えた。側目には分からなくても呪いは徐々に私を蝕んでいて、いつまで形を保ってはいられるのか、もう分からなかった。
近いうち、この人を置いていく。それを口にすることを彼は許してくれないだろう。そんな言い訳で、真実を告げる勇気が出ないままいつもと変わらぬ日常を過ごし続けていた。
自惚れでなければ彼を哀しませることになるだろう。だけど、きっと大丈夫。彼の教え子たちは優秀だから彼を孤独にすることはない。そう思える環境があることに感謝していた。

「なまえはバカだよね」
「は?」

俯いていた顔を上げると、薄い唇が弧を描く。揺れる睫毛を見つめれば、長い指があやすように私の目尻をなぞった。

「最近、痩せたね?」
「……ダイエットしてるの」
「必要ないでしょ。それと気付いたら寝てるし肌荒れ酷いし平熱より低い体温が二週間続いてるし頭痛もあるんだろ、もしかして妊娠? って思ったけどどうも違う。っていうか呪力不安定だし。隠しようないのに何か隠してるよね。何で?」
「何なの、ちょいちょいキモチワルイんだけど」
「はーい、はぐらかさないの」
「別にはぐらかしたわけじゃなくて」
「ねえ、」

畳みかけるような問いかけは最早詰問に近い。何で、とはどこにかかる疑問だろうか。何で痩せたの、何で調子悪そうなの、何で黙ってるの。全部だよ、って言われそう。
一人で考えて一人で笑っていれば、悟は心を読んだかのように苛立ちを見せた。尤も、顔は笑っている。目だけが笑ってないから逆に怖くて、やっぱり目隠し取るんじゃなかったと今更後悔した。

「僕が気付かないとでも思ったの?」
「……気付かないふりをしてくれると思ってた」
「ほんとバカ」
「バカバカって酷くない?」

わかってる。貴方は優しいから、気付かないふりなんてしてくれないことは知っていた。だけど出来れば何も告げずにやり過ごせないだろうか、とは実に甘い考えだったらしい。だからといって、本当のところを告げたとて、変わる結末は何も無い。変わるとすれば、互いの嘘がすこし増える程度。

「自分から手を離すような真似、絶対するなよ。醜くてもしがみついて。僕を置いていかないでよ」

滅多なことで飄々とした態度を崩さない男が吐き出した弱音に、醜くも喜ぶ自分がいる。他人の感情を揺さぶって快感を得るとは、なんとも性格が悪い。
目の前の高そうなシャツを握りしめて皺を作った。それは無理だよ、とそう口に出来ないのは、すこし苦しいくらいに強く抱きしめられて身動きが取れないからだ。胸に顔を埋めたまま、形だけの返事をした。

「……うん。がんばるよ」

私の下手な嘘に悟はやっぱり気付かないふりをしてくれて、だけど私を抱き締める腕がまたすこし強くなって、それはどうしようもなく苦しかった。見上げてしまえばいつもは覆われている瞳が不安に揺らいでいるだろう。こんなに大きいのに、迷子の子犬みたいで可笑しかった。

 

 

 

 

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