不安定恋心(宮侑)

 

 

 

朝練を終える時間はどの運動部も大体変わらない。最近はずっと、終わると同時に素早く着替えて教室へ走ってた。だけど、今日は部活がない。ないからと言って身体を動かさないわけにはいかないから、いつも通り早起きして走り込みして、せっかくだからシャワー浴びて優雅に朝ごはん食べて、なんてことしてたら結局いつもより遅くなってしまった。学校に着く頃にはシャワーを浴びた爽やかさなんてすっかり消え失せていた。汗を拭いながら駆け込んだ生徒玄関、こんな時間では他に誰も居ないだろうと思ったのに、下駄箱の向こうに現れたのは、よく知る人物だった。

「なまえやん。おはよ」
「あ、あつむ」
「寝坊したん? 髪ぐちゃぐちゃやで」

息を切らしながら靴を替える隙をついて、乱れた髪を大きな手が撫でつける。触れた瞬間、驚きで身体が跳ね上がる。

「あ、あとで直す。それより早よ教室行かな!」
「今更焦っても変わらんて」
「変わるやろ! 私、急ぐから!」

侑の横をすり抜けて教室へと廊下を駆けた。遅刻寸前だというのに侑は随分と落ち着いていた。そっちの担任は優しいかもしれないけど、こっちはそうもいかない。鐘の音が鳴るのと同時に教室へ滑り込むと、侑の言う通りぐちゃぐちゃになっているのだろう私の姿を見て何人かが大爆笑だった。担任はまだ来ていないらしい。セーフ。息を切らしながら席について、ようやく深呼吸する。そういえば、侑におはよう、って言ってない。

私にとって侑は元カレだけど、侑にとってのわたしは元元元カノくらいで、もう記憶の彼方向こうだと思う。そもそも私は、たった一日で音を上げたのだ。元カノとは言えないかもしれない。やっぱり友だちで居たい、って言った私の願い通りに今は何でもない。良かった、と思うのは別に嘘じゃない。だって望んだのは私だ。だけど人間そう簡単に割り切れるはずもなく「おはよう」を口にする度、「また明日」を告げる度、うまく笑えないことに気付かれないよう必死だ。全然、フツーに出来なくて、つい、直接的な接触を避けてしまっている。
部活があるときはいい。身体を動かしていれば、余計なことを考えなくて済む。だけどそうじゃないとき、今朝みたいに顔を合わせてしまうとダメだった。
私は何かを後悔してるんだろうか。分からない。どうしたら良かったのか、どうしたらいいのか、ずっと分からないままだ。だけど、あのまま続けた方が今より不自然な方向に転がってた。きっとそうだ、そうに違いない。そうやって自分を言い聞かせてる。

「はあ〜……」

机に突っ伏して大仰に溜息を吐き出した。無視してほしい気持ち半分、構ってほしい気持ち半分。そんな複雑な感情のどこを汲んだのかは知らないけれど頬杖をついた隣人は呆れる顔で口を開いた。

「ウザ」

私の吐き出した息を押し戻すように辛辣な言葉で撥ね付ける。天板に頬を張り付けたまま隣の席を見遣れば、心底面倒くさそうな顔した角名がこちらを向いていた。

「角名、おはよう……の前にソレはなくない?もうちょい言葉選んでや」
「爽やかな朝に重苦しい溜め息吐いてるからだろ。無条件で優しくしてもらえる特権を持つのは幼い子どもか恋に傷付いた女のコだけだよ。みょうじは今どっちでもないよね」

ぐうの音も出ない。だけどもう少し遠慮があってもいいと思う。「友だち特権で優しくされたい。優しくしてや」と身体を起こして反論すれば角名はド正直にも「めんどくさ」と投げ返した。そういう男だと知っていた。他人になんて興味ありませんという顔をしながら面白そうなことにはアンテナ張って、火の粉のかからないところでカメラ構えて薄く笑ってるような男だ。そんなだから、例え子ども相手にだって無条件で優しい角名なんてとても想像できない。「ねぇ、聞こえてるよ」と言われて気付く。ぶつぶつ零した悪態は本人に届いていたらしい。

「どうしたの、って聞いてほしい?」
「……聞かんといてほしい」

私が俯くと角名は「やっぱりね」と言って会話を終わらせてしまった。ちょうど担任が教室に入ってきてHRを始める。先生の連絡事項をぼんやりと聞きながら、よそごとばかりを考えていた。
傷付いている、なんて言えるわけがない。 やっぱり友だちとしてしか見れない、なんて言葉で終わらせたのは私だった。侑は“付き合うてみる?”なんて冗談みたいに告げたあのときと同じように薄く笑って、別れの要請をアッサリと了承した。前のテストのときだから気持ち的にはかなり昔。でも実際そんなに時間は経っていない。だけど侑はすぐに新しいカノジョが出来て、また別れて、また別のコと付き合って……とひっきりなし。そんなだから、周りも私が侑の元カノなんてことは知らないと思うし、もしかしたら侑すら覚えてないんじゃないだろうか。それくらい私たちは元通り、元クラスメイトで選択授業や授業の合間にたまたま顔を合わせるくらいの距離の、フツーの友だちだった。ただ、最近ずっと何となく気まずい。
気が付くと、いつのまにかHRは終わりクラスみんなが席を立ち始めていた。どうやらテスト前だというのに先生たちの都合で時間割が替わるらしい。つまり朝イチから選択授業で教室移動となってしまった、らしい。聞いてなかったの、と角名からの冷たい視線に晒されながら、急遽必要となった教科書を探すため机に手を突っ込んだ。

 

 

果たして集中できるか効率が良いかどうかはさておき、勉強会と称し、放課後の教室に屯する習慣がいつの間にか出来上がっている。とは言っても、個々で机に向かっていたり他のクラスからも集まって机を寄せ合ったり、形は様々だ。

「俺の机使ってもいいよ。帰るから」
「ダイジョーブ足りとる! ありがと」

角名を始めとした真っ直ぐ帰宅組が帰り支度するのと同時、約束していたメンバーで机を固める。残るのはクラスの半分以下。机移動を終えて教室を見回しながら席に着く。さぁ始めるぞ、と教科書やらノートやらを取り出しした矢先、上から数冊のノートやプリントがどさりと落とされた。落とした人物を見上げれば、このクラスじゃない方の双子だった。不遜を露わに見下ろす瞳と視線がかち合う。

「次も教えるて言うたやろ」
「……もっと適任おるやろ? ほら角名とか」
「ヤダよ、めんどくさい」

向けた水はいとも容易く弾き返された。物理的に捕まえようと伸ばした手を躱し、じゃあね頑張れ、と思ってもいないだろう一言を落として、角名は一瞬のうちに教室から消えてしまった。

「なまえ」

伸ばした手の行き場をなくしたまま頭上を見上げれば、決してご機嫌とは言えない表情の侑。前のテストのとき、確かに、確かに次も教えるというか一緒に勉強しようなんて話をしたかもしれない。話の流れで次のテストもよろしくな、なんて持ちかけにも了承したかもしれない。

「カノジョに教えてもーたらええやん」
「別れた」
「もう? 早っ!」
「おまえに言われたないわ」

強烈に心臓を突き刺す一言だった。ごもっともや。今日はこんなのばっかりか。言われたくないなら来んな、とでも言い返せばいいのに架空の苦虫を噛み潰して押し黙る。そうしているうち、机を囲っていた友人たちはあろうことかそそくさと離れて新たな島を作っていた。抗議の為に立ち上がる。

「ちょっとぉ! 何でみんな離れてくん!」
「侑くんと約束しとったんやろ〜? アタシらのことは気にせんといて」
「気にするわ!」
「ええからなまえはそっちで勉強しとき」

イヤだ私もそっちに入れて、いや諦めてあっち行って、などと押し問答の後、遂に完全に新しい島から断絶されてしまった。同じクラスの治ならともかく、侑には何となし近寄りづらいという女子は少なくない。だからって分断しないでほしい。薄情な友人たちに取り残され私を尻目に、侑は角名の机を動かして私の真横に連結させた。向かい合わせにするより隣り合わせにした方がノートが見やすいから、と私たちはいつもそうしていた。他意など全くなかったころの話だ。だけど今、そんな手も身体も触れ合うような距離で過ごせるはずもなく……無言で机を動かし、向かい合わせに組み立て直す。侑は不満そうに眉を寄せながらも黙って椅子を引いた。

「早よ始めんで」
「……何で教わる方が偉そやねん!」
「なまえがうだうだ言うとるからやろ。約束したんちゃうんか。誰が悪いねん」
「うっ…………ごめん」
「しゃーないから許したるわ。早よ座って」

これ以上、意地を張っても仕方がない。フツーに接しろ。フツーに。

「……どこが分からんの」
「だいたい分からん。出るとこ教えてや」
「ヤマカンは外れたときのリスク高いやろ」
「今からテスト範囲ぜんぶやる方がムリやろ」
「全部分からん言うつもりか! 授業中なにしとったんや!」
「考え事ようけあったんやろなぁ」
「他人事みたいに言うな!」

噛み付くように指摘しても、侑はあっけらかんとしている。それどころかまるで楽しそうに笑い始めた。フツーに。赤点とらんかったらそれでええねん、と言う侑から先日の小テストの結果を聞くと、別に教える必要はないように思えた。
結局、教えるというよりはほとんど互いに机に向かってるだけだった。時折、視線を悟られないように侑を盗み見ると珍しくも真面目な表情で、随分と集中しているらしかった。そういえば、侑の部活してる姿をしばらく見ていないな、と思った。インターハイの県決勝は皆で応援に出掛けたけど、そこから大きな試合はないし、練習試合は誰かに誘われなければ行かない。そもそも自分の部活もある。他学年の女子みたいにうちわ作って応援したいとは思わないが、汗水流す角名を見て笑いたい気持ちもある。性格ワルいって言われない?なんて悪態を吐かれそうだ。
やがて日が暮れる頃、クラスメイトたちは徐々に帰っていき、私たちもそろそろ帰ろうか、ということになった。校舎の外に出る頃には空が暗くなってきた。自然に、二人並んで歩く。

「俺のこと避けよったやろ。あれ、辞めろ」
「……うん、ごめん」
「フツーにしろ言うたんはなまえやろ。フツーにして」
「ん。せやな」

暗くなる前に帰ろう、とは変な感じだ。部活がないとこんなにも早い。夕陽に照らされた横顔を見上げる。私が変だから、気を遣ってくれたんだろうか。フツーにしろって言ったのに気まずいままだったから、イヤだと思ってくれたんだろうか。元通りになれるだろうか。私だって、気の合う友人を失くしたくはない。帰り道、互いに口数は多いわけじゃないけど自然にどうでもいい会話をした。今朝は寝坊したんじゃない、という言い訳もできた。侑こそがギリギリまで寝てしまい治には置いて行かれたらしく、諦めてのんびりと登校したらしい。

翌日は休み時間の度に現れて、それは別に珍しいことでもないけど、治に「自分の教室帰れ」とか何とか言われて騒いでいた。昼は昼で、お弁当が二段とも白米だったと喚きながら駆け込んできたので角名が「本当にやるんだ、それ」とツボに入っていた。治や角名とは席が近いから会話が自然と耳に入る。別に侑と二人で会話するわけじゃないけど、一言二言話すことはあって、フツーだった。すごく、フツー。
そして放課後、別に約束してるわけでもないのに侑はまたこっちの教室に現れた。治も角名も既に消えている。侑は教室の入り口から私を見つけると、ずかずかと踏み込んできた。私は案の定グループから弾かれて侑と机を囲む羽目になる。

「何やねん、もぉ」
「ええやろ別に」
「ええけど良くない」
「どっちやねん」

結局、また二人で帰ることになって、それは別にフツー。昨日今日が初めてじゃない。フツーだけど、前よりずっと侑を近くに感じる気がして、何だかむず痒かった。意識してるからでしょ、とだれかが頭で囁く。思わず頭を振り回してそんな考えを否定した。横を歩く侑が「何しとるん」と笑っていた。

 

 

「はぁ………」
「辛気くさいんだけど」
「早くテスト期間終わんないかな……」

授業を一日こなした後のHR前、清々しいはずの時間なのに気持ちは曇天だった。

「何なの最近。どうしたいの」

どうしたの、じゃなくてどうしたいの、と言う。面倒臭がるポーズを取りながらも一応聞いてくれるあたり、性格が悪くても角名は何だかんだ優しい。角名に侑との話をしたことはない。もしかしたら侑から、一日だけの彼女になったことくらいは聞いているかもしれないけど、たいして面白い話でもなかっただろう。だから私も、わざわざ愚痴になるだけの詳細を話そうとは思わない。

「……今日は放課後残るのやめる。角名、一緒に帰ろ」
「俺は別にいいけど。いいの?」
「アカン要素なんて何もないやろ」

知らんけど。きっと何もない。HRが終わるなり、荷物を引っ掴み教室を出た。同時に歩き出したはずなのに、コンパスの差のせいで少し早足になる。

「角名は家で勉強しとるん?」
「基本的にはね。昨日は治とファミレス寄ったよ」
「何それ、ええなぁ。私も行きたい」
「今度ね」

あしらうような返しを頂いた。今度っていつやねん。かといって、別に約束を取り付けるようなことでもない。っていうか、適当な約束は身を滅ぼすと最近学んだばかりだ。

「何だかなぁ……」
「溜め息、吐きすぎ」
「悩みごと多い年頃なもので」
「いい加減、疲れない? もう認めたら?」
「何を?」

横を歩く角名を見上げる。身長差あるから視線合わせると首が痛いんだよなぁ、とどうでもいいことを考える。だから、繰り出される言葉に核心を突かれるなん予想はしていなかった。

「みょうじ、侑のこと、好きでしょ?」

え、の形に口を開けて固まる。違うそうじゃない、って反論するにはもうタイミングが遅い。この男は、突然、何を言い出すんだ。私が、侑を好き? 今更? そんなアホな。何て答えたらいいのか分からなくて黙り込んだまま、歩みを止める。
動転していたと思う。だから、背後から近付いていた人物が話題の張本人であることに全く気付いていなかった。

「それホンマ?」

一縷の希望に賭けて、見知った声を振り返る。残念、それは治ではなく確かに侑だった。その顔は研いだ刃物のような無表情。やばい。目が据わってる。どうしてかは分からないけど、良くない空気であることは確かだった。

「角名、今日は帰ってくれ」
「うん」
「え、ちょっ……角名ァ!」
「バイバイ」

引き留めようと手を伸ばすも、侑に首根っこ捕まえられて身動きが取れない。暴れる間もなく、角名はひらひらと手を振って去ってしまった。優しいなんて一瞬でも思った自分がアホだった。やっぱり人の不幸を笑う薄情なやつだ!

「なまえはコッチ」
「なに、何でっ」
「話さなアカンことあるやろ」

ずるずると引き摺られて誰もいない教室に押し込まれる。閉め切るようなことはしないけれどそれでも他に誰も居ない空間に、二人。

「帰りたい。帰らせて」
「ハナシ終わるまでアカン」
「話さなアカンこととか別にないやろ」
「俺はある」

だったら早く殺してくれ、の意で口を噤む。侑は私を壁際に立たせると、自分は行儀わるくも誰かの机に腰掛けた。手を伸ばせば届く距離。ゆっくりと息を吐いた侑がこちらへ鋭い視線を向けた。

「まず何で先帰ろとしたん? 避けるんヤメロ言うたよな」
「……別に避けとるわけやない」
「じゃあ何やねん。トモダチでおりたい言うたのにそれもイヤか? ええ加減にせぇよ」

低く唸るように牙を剝く。空気が軋む。
別に約束してるわけでもないのに、勝手に帰ろうとしたことをどうして責められなければならないのか、と思っていた。さっきまでは。侑は多分、ずっと怒ってた。カノジョもトモダチも出来ず中途半端な私に、ずっと怒ってたんだろう。申し訳なさに押し黙り俯く。

「あー……ちゃう。そうやない。そんなんが言いたいんとちゃうねん」

侑はうーとかあーとか言ったあと、溜め息を吐いて髪をかき乱した。

「……ムリて言うことさせたいわけちゃう。なまえがイヤならトモダチでええかな、って思った。女のコやったら他に幾らでもおるし寄ってくるし別に困らん。せやけど俺はなまえがいいいし、なまえがイヤちゃうなら話は別や」

さらっとヒドいこと言った気がする。私にも他の人にも全方面に失礼すぎる。何言ってんねん、と遮ろうとして口を開きかけたのに、緊張からか声が掠れて言葉にならない。
今、一体どういう状況で何が起こっているのか、脳のリソースが足りなくて処理しきれない。侑は一体、何の話をしているんだろう。話の目的は、終着点は、どこにあるんだろう。金魚みたいに口の開閉だけを繰り返した。侑はそんな私に追い討ちをかけるようになまえ、と私の名前を呼ぶ。

「少しでも気持ちあるんやったら、否定すんな。口にしたら意識するやろ。思い込むやろ。ホンマになるやろ。心のどっかに1ミリでもあるんやったら、それ膨らまして。……俺のこと好きって言えや」

侑の言葉をゆっくりと受け止める。受け取ったソレを、どうしていいのか、まだ分からない。もういっぱいいっぱいだ。侑は黙って私が話すのを待っていた。深く呼吸を繰り返して、声を捻りだす。

「む、むり」
「……何でムリなん」
「しんぞうが……」
「は?」
「心臓が爆発しそう」

両手で顔を覆い隠す。今、鏡を覗いたら、私の顔は真っ赤に茹で上がっているだろう。これ以上、見られたくないし、侑を直視できない。堪えきれず俯いていると突然、腕を掴まれ引き寄せられる。密着する。そんな距離に異性の他人が居るのは初めてだった。反射的に腕を突っ張って拒否を訴えても、びくともしない。

「ちょっ……侑!?」
「何やめっちゃ抱きしめたなった」
「ほんま無理やって」
「ムリて言うな。ムリな理由あるなら今言って。全部否定したるわ」

侑のことが好き? 分からない。だけど、こんなにも特定の誰かで頭がいっぱいになったことなんてこれまでにない。これを恋だと言うのだろうか。決めつけるに早計すぎやしないだろうか。流されてるだけなんじゃないだろうか。そうやっていつまでも焦ったい思考がやまない。そんな中途半端を続けたがる私が作る壁を、侑は何度で壊してしまう。侑のことが好き、なんて。口にしてしまったら最後、きっともう戻れない。

「……私おかしいねん。侑のことばっか考えて、私が私じゃなくなって、アホになりそう」
「ええやん。何が悪いん? まぁアタシとバレーどっちが大事なんとか言われたら引くけど」

言われたことあるのか。あるんだろな。侑がバレーとカノジョを比べられないように、私にだって他に大切なことは幾らでもある。その上で、好きだと、言っていいんだろうか。

「もうええやろ」

諦めろ、の意。いつもながら見上げている目線は、侑が机に腰掛けているせいでほとんど同じ高さだ。その距離が今よりまた縮まろうとしている。あなたはこんなシチュエーション慣れているのかもしれませんが私はそうじゃないんです、と頭がパニックを起こす。廊下を歩く誰かの足音が聞こえてきたから尚更だ。

「ちょっ……誰か来る!」
「別に、見せといたらええやん」
「よくない!」
「もー黙っとき」
「んっ」

吐き出すはずだった反論は飲み込まれた。啄むように唇を喰む。侑が、私の。すぐに離れたその顔を見上げれば、侑は嬉しそうに目を細めて笑った。恥ずかしくてすぐに逸らした。頭をぽんぽん、と撫でられる。
話はまだ終わっていないはずだ。終わりそうもない。だけどもう、逃げるわけにもいかないだろう。なるようにしかならない。好きだよ、と果たして素直に伝えられるだろうか。