盲目なのです(赤葦京治)

 

 

体育館の補修作業があるから、と今日の部活はミーティングだけになった。少し待たせてしまうかもしれないけど今日みたいなチャンスは逃したくない。一緒に帰れますか、と彼女へメッセージを送れば『日直だから同じくらいに終わるかも』と嬉しい返事が送られてきた。

放課後、時間が空くのは俺の方が早かったらしい。終わった旨のメッセージを送ったけれどすぐに返事は来なかった。このまま大人しく待つかどうか悩んで、三年の教室へと続く階段を見上げる。待っていても仕方がない。昇降口から真っ直ぐ上がれば彼女とすれ違うことはないだろう、と階段を登った。

彼女の教室を訪ねるのは別に初めてのことじゃなかった。二人きりになることを気軽に誘えるような関係になる前から、そこには何度も足を運んだ。それは主将である木兎さんを訪ねて、であったけれど、彼女に会えるだろうか、という下心を抱いていたのは事実だ。
三年一組の教室を覗くと、他に誰も居ない教室で机に向かう目的の姿を見つけることができた。彼女はすぐにこちらに気付き、顔を上げた。手招きに従って教室へと足を踏み入れる。少しだけ緊張する。

「赤葦くん。早かったんだね。あと日誌書くだけだから、もう少し待って」
「一人ですか?」
「ペアの子にはごみ捨てをお願いしたの。そのまま部活に行ってもらった」

見知らぬ男の部活など興味もないのに、反射で「部活?」と反復すると「うん。サッカー部」とさらにどうでもいい情報が返ってきた。そのまま伝えてしまえば自分から聞いたくせに何だ、と叱られてしまうので顔に出したりはしない。本当のところ、同じクラスの男の話など聞きたくもない。アンタと同じ学年で同じクラスで、それだけで嫉妬の対象だと言えば、子どもっぽいと笑われるだろうか。

教室を見渡す。まだそこまで遅い時間でもないのにここは静かだ。開け放たれた窓の外から、運動部の掛け声や吹奏楽部の音が流れてくる。いつもならその喧騒に自分も紛れているのだから、こうやって外から見るのは不思議な気持ちだ。開かれたままの窓から風が送られて、教室のカーテンが揺れる。

「座ったら?」と促されるも何となく躊躇っていれば「木兎の席だから気にしなくて大丈夫だよ」と続けるので、椅子を引いて彼女の前の席に腰を下ろした。再び机上の日誌に向かった彼女の顔を見つめる。今日の出来事トピックスに悩んでいるらしい。そんなもの、適当に埋めてしまえばいいのに。

「変なところ真面目ですよね」
「うーん。今日も木兎がうるさかった以外に浮かばない……」
「そのまま書いてしまえばいいのに」

思わず零れ出た本音を口の中に戻すことはできず、しまった、を表情にすれば日誌から顔を上げた彼女が「共犯だね」といたずらな子どものように笑った。
そうと決まれば、とペンを走らせ仕事を終えた彼女は、最後に窓を閉めるため窓際へと向かう。手伝えばいいのに、立ち上がりもせずにその後ろ姿を眺めていた。
学年が違うのに、同じ教室に二人きり。当たり前ではないこの時間が、とても大切なもののように思えた。同じクラスの人は、いつもこの距離で彼女を見ることができる。

「……羨ましい」
「え、何が?」

また考えが口に出ていたらしい。それが、近くに戻ってきた彼女の耳に届いてしまったらしい。すこし逡巡して、正直に言葉の意図を白状することにした。

「みょうじさんと同じクラスの人が羨ましい、ってそう言ったんですよ」
「意外。赤葦くんもそんなこと考えるんだね」
「みょうじさんは考えたことないんですか」
「わたしは、今のままがいいな」

少し傷付いた。同じクラスどころか同じ学年ですらないし、別に本気で発言したわけじゃないけど、それにしてもそんな綺麗にぶった切ることはないだろう。

「そう、ですか」
「だって、赤葦くんがずっと教室に居るんでしょ? 気になって授業なんて集中できないと思う……」

顔を赤らめ、視線を逸らして告げられた言葉。今度は違う方向に予想外のボールが返ってきて面食らった。平静を保つために手で顔を覆って深く深呼吸する。

「ど、どうしたの赤葦くん」
「何でもないです。……帰りましょう」

立ち上がり、床に置いていた鞄を引っ掴んで教室から出る。日誌と鞄を手に追ってきた彼女は怪訝にこちらの顔を覗き込んできた。何でもないです、ともう一度繰り返す。今は顔を見られたくないし、かといってこちらの視界に居れるのも憚られた。見たら触れたくなる。その手に、口に。
初めてじゃあるまいし、してもいい関係ではあるけれど、いつ誰が通るか分からない。ここで手を出したら彼女は怒るだろうか。いや、きっと、顔を赤くして照れ隠しに文句を言う程度。なら、少しくらい色惚けたって許されるんじゃないか?