After the Dead end 2(安室透/降谷零)

 

 

 

初めに失くしたのが彼だった。

 返事の来ないメールを送る勇気はなくて電話帳の登録を消した。連絡の取れない連絡先なんて、あっても意味はないのだから。随分と昔のことだ。

 それでも送り続けりゃ生きてることは分かるしな、と伊達くんは笑ってたっけ。宛先不明にならず届いたことさえ分かればいい、なんて私はとてもそんな殊勝には考えられなかった。

 思い出が色褪せることはないなんて大嘘だ。ぼろぼろと崩れ落ちていき、今はもう形を成さない。メールも電話も、今は誰にも繋がらない。

 正しいことをしようと思った。大切なものを守るために。そうして警察官になったのに、失くす度に心は徐々に黒く染まり、気付けば憎しみと悲しみで覆われて沈んでしまった。それでもお前なら大丈夫だよ、と励ましてくれる仲間たちはもう居ない。みんな居なくなった。どうして誰もさよならさえ言わせてくれないんだろう。親の死に目にも会えないと言われる職業なのだからそれくらいは当然だと受け入れるべきものだ。仕方ない。仕方ない。分かってる。だけど。理解は出来ても、覚悟が足りていなかった。

 フロントガラスの向こう、遠くからサイレンの音が響いていた。沈潜することをやめて窓の外を見遣る。救急車とそれからパトカー、それも一台だけじゃない。消防車は居ないようだから火事ではないだろう。

……事故でしょうか、事件でしょうか」

 考えていたことを見越してか、隣の運転席からそんな言葉が送られる。あくまで『安室透』を崩さない彼は、私にとって『親しくもない知人』に過ぎない。

「さあ、どうでしょうね」
「やはり気になりますか?」

 何に掛かる『やはり』なのか。事故だろうが事件だろうが私ならば『やはり』気になるだろう、本来なら居てもたっても居られないのではないか、と?  ……過去の私ならそうだったかもしれない。だけど、今は到底、そんな気骨はどこにもない。何も知らないくせに。貴方が居なくなってから、私が何をどれだけ失ったのか、何も知らないくせに。

 紛れも無い苛立ちを自覚する。立場が何であれ、サイレンが聴こえたら誰だって気を取られるものだろう。

「そういうあなたはどうなんですか?」
「僕ですか? そうですね……事故なら僕の出る幕ではないですが巻き込まれた人が心配ですし、事件なら詳細が気になりますね。勿論、探偵として」
「私はどちらだろうが友人や知っている人が巻き込まれていないか、それだけが心配です。薄情ですけど」
「まあ、普通はそうですよね。でも意外でした」
「意外? 私の何を知ってるって言うんですか?」

 噛み付くように投げかけた。だけど答えがほしいわけじゃない。

 二人きりになれば何か違うかもしれない、と縋るように思っていた。そんな気があれば、今日までにとっくに何かしらのアクションがあったはずだ。ない、という事は私に話す事など何もない、という証だ。それでもこうして気に掛けるような真似をするのは嫌がらせか牽制かのどちらかだろう。『余計な事は口にするな』と。全てが、そう言いたいように聞こえる。何の目的があって、彼が偽名で毛利さんに近付いているのか、知った事ではない。言われなくとも、告げ口をするつもりはない。ただ苛立ちが募っていく。

「ここで、降ろしてください」
「毛利先生から聞いている場所からはまだ距離があるように思いますが……
「すぐそこが最寄駅ですから、もう十分です。ここからなら歩けます」
……なら、せめて近くまで後ろを付かせていただきます。貴女に何かあれば、毛利先生に説明できません」
……お好きにどうぞ!」

 クルマが路肩に停車するなり、シートベルトを外して車外へと飛び出した。これ以上、堪えられそうになかった。

 半分は八つ当たりのようなものだった。わざわざ送ってくれている相手に向ける態度じゃない。分かっていても、どうしようもなかった。彼のように割り切って接することは私には出来ない。愛想笑いもポーカーフェイスも、私の方がずっと得意だったはずなのに。

 

 

 家に人を招くとあって、早起きして念入りに掃除と片付けをした。片付けきれない荷物は最終的に寝室のクローゼットへと押し込んだ。そこまで見せるような事態にはならないことを祈りながらピカピカになった床に見惚れていると、やがてチャイムが鳴った。マンションのオートロックを開けて待っていると少しして再び部屋のチャイムが押される。

「おじゃましまーす!」
「あ、コラ!」

 扉を開けるなり部屋の探検を始めたコナンくんが微笑ましい。慌てて制止しようとする蘭ちゃんへ構わない旨を伝えて、飲み物を出す為にテーブルへと促した。

「私まですみません」
「いいえ、来てくれてありがとう」

 調査の為とはいえ、仮にも女の一人暮らしの部屋だ。男だけで押し掛けるのは良くないだろう、という毛利さんの心遣いで蘭ちゃんやコナンくんも連れ立ってくることは事前に了承していた。問題は、話になかった毛利さんの弟子の存在だ。後学の為、と銘打ち、今日も同席している安室透。何故、と思っても対外的には嫌がる理由がなく受け入れる他なかった。

 部屋を調べていたらしい男性陣が戻ってきたところで、彼らにも飲み物を提供する。尤も、一人暮らしの家具なので全員が座れるような椅子はない。客人を立たせたままでは心苦しく、せめて誰かと変わろうとするもそのままを促されてしまった。

「盗聴器の類はなさそうだな」
「今のところは、部屋の中でイヤな感じはしてません」
「最後の写真から今日で何日だ?」
「それが、今朝また新しいものが入っていて……
「何!? 見せてくれ!」

 会話が聞かれていない、と確証が取れたところで、ようやく新しく投函されていた写真をテーブルの上に出す。写真、と言っても、これまでと同じく自宅でプリントアウトしたようなもので、裏面は真っ白だ。古いフィルム写真のように分かりやすい日付が入ってるわけもない。

 そして、裏返したその写真は、ほとんどが黒と言っていいほど真っ暗だった。

「なんじゃ、こりゃ?」
「撮影に失敗した……というわけではなさそうですね」
「よく見ると、うっすら何か影が見えるね」
「あー……よく分からんな、こりゃ」

 まるで揶揄うように、弄ぶようにじわじわと近付いてくる。単なる悪戯目的なのか、危害を加える目的なのか、意図の分からない不気味さを漂わせていた。

「昨日も聞いたが、何か心当たりはないのか?」
「というより、正直ありすぎて……

 申し訳なくも告げると毛利さんは頭を抱えてしまった。心当たりと言われて、ぱっと思い浮かべるのは難しい。こういう場合、恋愛感情や好意を抱いて行動している相手ならば大抵それは別れた恋人であったり同じコミュニティに属す人間であったりと身近な人間である事が多い。そうは思いたくない、と考えるのは誰でもそうかもしれないが、そうでなく冷静に考えたところで周囲に明らかおかしい人間など簡単に思い浮かぶものではない。そもそも休職中の身なのだから人付き合い自体が限られている。但し、それ以外の感情での執着……つまり、逮捕に繋がる動きをした事で買った恨みというなら山程にある。

「刑事の頃に買った恨みから絞るとなると、数が多すぎるな……

 今もまだ警視庁に籍はあるんですよ、とわざわざ言う必要はあるまい。口にしたところで、それも時間の問題だろう、と笑われてしまうかもしれない。

「ただの悪戯ならいいが、なーんか嫌な予感がするんだよな……特にこの最後の写真、これには何かしらの悪意が臭う! 他に気付くことは?」
「ここ数日の二枚以外は、少し古い、です。少なくともここ半年じゃありません」
「そいつはつまり……
「はい」

 写る景色や人の服装から見るに、今とは季節が違う。つまり、最近出会った人間ではない可能性が高い。毛利さんの言うように警視庁時代に買った恨み、もしかしたら相手は前科持ちである可能性が高いということだ。

「ということは、少なくとも犯人は安室君じゃないってことだな!」
「え?」
「ぼ、僕ですか?」
「そーだよ! お前さん、彼女と出会ったのはつい先日だろう。今日だってお前タイミングよく現れてここまで着いてきやがって、怪し過ぎるんだよ!」

 毛利さんは訝しむ目を彼に向けた。一方、彼は疑われて見るからに戸惑っている。

「まさか彼女に一目惚れしたお前の犯行なんじゃ……
「違いますよ! 僕が来てるのはあくまで毛利先生の推理を学ぶ為で……

 毛利さんも本気で口にした言葉ではなかったのか、彼の弁明を聞いて「ならいいけどよ」とあっさり引いた。毛利さん以外の全員が苦笑する。その可能性は考えてなかった。しかし、確かに状況だけで推理すれば怪しいことこの上ない。蘭ちゃんでさえ、いつもなら父親を諫めるだろうところ、今は言葉に迷っているのか目が泳いでいる。不覚にもじわじわと面白くなって笑いを堪えていれば本人と目があってしまった。

……僕じゃありません」
「分かってます」

 咳払いして、笑いを打ち消した。コナンくんから送られる視線が痛い。変なところで聡い少年だから、目の前で下手な行動を取るわけにはいかない。

「だとすりゃ、やっぱり特定するには地道に張り込むしかねーな。長期戦になるかもしれないが、いつも通りに生活してくれ」
「はい。お願いします。といっても、休職中なのでそんなに外出することはないんですが……。写真の投函についても、もともと頻繁じゃないですし」
「だったら、何で一昨日の次は今朝だったんだろうね?」
「またガキが口を挟みやがって!」

 コナンくんの言う通りだ。投函されたのが昨夜か今朝かは分からないけれど、こんな短スパンの動きはこれまでなかった。

「そうね。もしかしたら、毛利探偵事務所へ行った事に気付かれてるのかも。だとすると、こっそり張り込んでも現れないかもしれませんね」
「長期戦どころの話じゃねーな……

 毛利さんは頭を抱えてしまった。こちらとて、いつ決着がつくか分からない依頼をするわけにもいかない。

「では、堂々と張り込むのはいかがでしょうか」

 暫しの沈黙を破ったのは安室透だった。意図が掴めず、続く言葉を待つ。

「堂々……と?」
「僕がなまえさんと一緒に過ごすんです。まるで恋人のように……ね」

 名案でしょう、とでも言いたげに微笑まれてぞっとしない。

 相手がこちらに対し抱いているのが好意でも悪意でも、ターゲットに何かしらの変化が出れば動くだろう、との推察からだろう。それは一つの選択として間違ってはいない。間違ってはいないが、この場合は悪手としか思えなかった。

「なるほど。それで犯人の反応を見る、あわよくば炙り出すってわけか。早期決着に持ち込むならその方がいいかもな」

 そんなご迷惑をかけるわけにはいきません、と口を開くより早く話が進められてしまう。

「幸いにもポアロのバイトは昼間だけですし、毎日でもありません。探偵の仕事も今は落ち着いています……。勿論、これは毛利先生への依頼で僕はただの弟子ですから、なまえさんから僕への報酬の支払いは必要ありません」
「いえ、あの」
「僕にも手助けさせてください……迷惑でなければ。なまえさんが心配なんです」
「他に良いアイデアもねーし、その手でいくかぁ……

 毛利さんがそう言ってしまっては、私にはどうすることも出来ない。他にこの曲面を乗り切る名案を持つ者が、私を含め他に誰にもなかった。

 安室透の言葉を受けてか、顔を赤くする蘭ちゃんに対して私の顔は青くなるばかりだった。またも反論する術を持たず、言われるがままに従うしかない現実に直面し、いっそ泣きたくなる。

「それじゃあ頼むぞ、我が弟子よ!」

 大人になるというのは、果たして諦めを覚えるということだっただろうか。投函されていた写真を預け、安室透とは近々連れ添って外出する予定を組んだ。勿論、毛利さんも遠くないところに待機する手筈だ。あれよあれよと固まるプランを黙って聞きながら、バレないように深い溜め息を吐いた。

 

 

 

 

To be continued……