僕の彼女になってください(黒尾鉄朗)

 

 

 

 

たまには部活のない日だってある。補修作業で体育館が使えない日だったり、学校行事の当日だったり、テスト期間だったり、理由は様々。それは紛れもない休息日だけど身体を全く動かさないのは何となく居心地が悪い。オーバーワークは禁物だけど、適度な運動は生活の一部だ。少なくとも、黒尾はそう考えていた。
今日はテスト前日ということもあって、寄り道せずに真っ直ぐ帰宅した。一度は勉強机に向かったものの、夕飯まで机に齧り付き続ける……ような集中力はなく、日課であるロードワークのため家を出た。幼馴染は誘ったところで眉間に皺寄せて拒否するだろうから、いつも通り一人で走り込む。住宅地を抜けて河川敷を通り、少し離れた何もない公園へ。昔はたくさんの遊具があったのに、全て撤去されてしまっている。今は幾つかのベンチが残るだけだ。日の暮れかけたこんな時間ではボール遊びをする子どもも居ない。それどころか変質者が現れてもおかしくない夕暮れだ。
そこまで考えて、黒尾は過去同じようにロードワークに出ていた際に職務質問を受けてしまったときのことを思い出して気が重くなった。身長190cm近い男がフードを被りうろうろしていたら怪しまれるのは客観的に見れば致し方ない。学校ジャージでなく、家用の黒いジャージだったことも悪かったと思う。それでも、いたいけな男子高校生を捕まえてそりゃあないんじゃないか、と言いたかった。その翌日は酷いものだった。たまたま研磨に目撃されていたらしく部活メンバーに大爆笑されたのだ。つーか見てたなら助けろよ、と黒尾が訴えれば研磨は「やだよめんどくさい」と返した。彼の幼馴染はそういうやつだった。
幸いだったのは見られたのが一応は後輩である研磨だったことで、風評被害は部内に留まった……とはいかなかった。部活メンバーにはクラスメイトである夜久が居たからである。言うなよ言うなよ誰にも言うなよ、と念を押したにも関わらず、夜久が翌日の教室で真っ先に口を滑らせたのは黒尾が好きな女のコだったのだから酷いとしか言いようがない。けれど、それをきっかけにその日彼女との会話が弾んだので1mmくらいは夜久に感謝してもいい、と黒尾は考えていた。
公園のベンチでそんなどうでもいい回想に浸り時間を費やした。どうにも、すぐに帰ってまた机に向かう気になれない。それでもいつまでも休憩しているわけにはいかないだろう、と黒尾は重い腰を上げる。
さて行くか、と屈伸したところで、背中に予想外の衝撃を受けて地面に手を着いた。

「うぉっ!?」

目を輝かせた、荒い息遣いの黒い犬。持ち主の居ないリードをずるずると引き摺っている。どうやら、こいつに飛びかかられたらしい。

「お前、どこから……」

土を払いながら立ち上がれば、犬は何が嬉しいのか黒尾の周りをぐるぐると回った。

「────クロ!」

黒尾が名を呼ばれた方向へ視線を向けると、息を切らして走って来たのは、みょうじなまえだった。先ほど考えていたばかりのクラスメイトだ。いつも結い上げている髪を下ろし、制服じゃなくて私服。それだけでこうも雰囲気が変わるものか。それでも黒尾はすぐに彼女だと気が付いた。なまえは黒尾を認識すると目を丸くした。そして、その足元についた土汚れを見て顔を真っ青にしてしまった。

「くっ、黒尾くん!? ……クロ!?」

なまえは黒尾と犬を交互に見て、まさかまさかと狼狽えている。彼女の想像する通り、この犬に飛びかかられたのだけれど黒尾にとってそれは大したことではなかった。頭を下げる彼女に気にするな、大丈夫だ、と伝える。

「本ッ当、ごめん!」
「良いって」
「クロ、こら! 大人しくして。……ごめん、まだ躾中なの」

犬は叱られて分かりやすく落ち込んだ顔を見せた。かと思えば、離せばすぐにでもまた走り出しそうである。全く落ち着きがない。リードを掴まれて手繰り寄せられ、自由に走り回れないよう抑えられている。聞けば、犬が家族になってからまだ日が浅いらしく、散歩に出るようになったのも最近らしい。道理で遭遇したことがないはずだ。最寄駅が同じであることには気が付いていたけれど、こうして放課後や休日に出くわしたことはこれまでない。

「でも、相手が黒尾くんで良かったぁ。小さい子どもだったら大事になってた」
「そーそー。大きい黒尾クンは大丈夫ですよ」

黒尾がおどけて見せるとなまえはおかしそうに笑った。その笑顔に心臓が高鳴る。相変わらずよく笑う。いつもにこにことしているので、つられて頬が緩むのだった。そして、くるくると表情が変わるのだ。クラスメイトのたわいない冗談で笑い、悪戯をされて頬を膨らませ、授業で教師に問題回答役を指名されたときは焦って面白い形の眉をつくっていた。自習ビデオ代わりの古い映画で泣いていたこともあった。その日書かされた感想用紙に、黒尾は『面白かった。泣いた』みたいな小学生の作文より酷い感想を書いて提出したので教師から後日やり直しを言い渡された。夜久からはどーせ寝てたんだろ、と笑われたが何のことはない、映画なんて全く頭に入らず彼女の横顔ばかり見ていたからだ。面白かったのに観てなかったの?と話しかけてくれた彼女に映画のストーリーを教えてほしいと乞うた。どんな物語に、どう感じて、どうして泣いたのか知りたかった。
この犬は、自分より多くの彼女を見ているのだろうか。少し羨ましい、と黒尾はそう思った。

「……その犬、クロって言うんだ?」
「う、うん。黒尾くんとお揃いだね」
「ソーデスネ」
「何で敬語なの」
「そいつが叱られてると自分が叱られてるみてぇ」
「えっ、ああ、そっか!」

なまえは小さく笑った。ごめん、と謝られてしまったけれど、彼女が謝る必要は別にない。
黒犬もといクロは主人を待つことに飽きたのか、なまえが手に提げている小さい荷物を引っ張り何やら訴えている。

「なぁに、クロ。あ、ボール?」

もう仕方ないな、と言ってなまえが野球サイズのボールを取り出すと、クロは分かりやすく目を輝かせて一声鳴いた。そして彼女が「行くよ、ほら!」と掛け声と共にボールを放ると嬉しそうに走り、落ちていったソレを上手にキャッチして戻ってくる。クロからボールを受け取ったなまえがまた同じように投げる。それを何度か繰り返した。

「よしよし、いいこだねクロ……ふふ」

戻ってきたクロの前に蹲み込み、その頭を撫でる姿を見つめていると、視線が刺さったのか、ふいに顔を上げたなまえと目があった。羨ましそうに見ていたことを見透かされたか。誤魔化すように、口を開く。

「あー……クロ、って紛らわしいから呼び方変えまセン?」
「そんな簡単に名前変えられないよ」
「そーじゃなくて。俺の呼び方」

きょとん、とした顔をつくり、ゆっくり立ち上がったものの顎に手をあてて何やら考え込んでしまった。

「黒尾くん、じゃなくて……黒尾? まさか黒尾さま!?」
「わざとかよ。 ……俺の名前、鉄朗クンって言うんですケド」

ばっと見上げられて、思わず顔を逸らす。視界の端、「え」の形に口を開けて固まってしまったなまえが映る。やっぱり早まった発言だったかもしれない。当たり前だ。クラスメイトの誰もが名前で呼んでいるというならともかく、幼馴染ですらあだ名で呼ぶのだ。
じわじわと羞恥が込み上げる。頼む、なんでもいいから何か言ってくれ。いや、何でもよくはない。出来れば良い返事がほしい。無理なら冗談にしてほしい。いっそ待たずに冗談だよ、と言ってしまおうか。ちらり彼女を見るとまだ固まっている。
黒尾が耐えきれなくなる寸前、彼女はようやくその硬直を解いた。

「呼べないでしょ……。か、彼女みたいじゃん」
「彼女になれば良くねえ?」
「え」

黒尾の言葉が冗談か本気か測り兼ねたのだろう、なまえもどちらともつかぬ探るような返しを選んだ。けれど間髪入れず黒尾がやり返したものだからもう逃げられはしない。再び返答に困るようなことを言って申し訳ない、とは黒尾も自覚していた。
顔を赤くしてこちらを見上げる姿があまりに可愛かったから、もしかしてを期待してくれてるんじゃないかと思わず口を滑らせた。そんな風に潤んだ視線を向けるからだ、と責任転嫁する。けれどこの場で明確な答えを求めるのは得策ではない気もしてきた。当然のように再び沈黙が訪れていたからだ。悪くてフラれる、良くて考えてみますパターンなら、ここは彼女が結論を出す前に「考えてみてほしい」と今日のところは話しを切るのが賢い選択じゃないだろうか。そんなことを悶々と考えた。童貞じゃあるまいし、まだるっこしい。そう思うのに、口は上手く開かない。

「て、鉄朗くん」
「なに」

ハイ、何ですか鉄朗くんですよ。そんな風にいつも通りの軽口で返したかったのに、口下手にも程がある。まさか本当に呼ばれるとは思っていなかったのだから仕方あるまい。俯く彼女が続ける言葉を待った。
暫く大人しくしていたクロが再びそわそわと動き出し、なまえの手からボールを奪い取ったので、良いところなんだから邪魔をするんじゃない、とばかりにそのボールをなまえが投げるより遥か遠くへ放った。俯いたままの彼女へ再び視線を向ける。なまえはおずおずと顔を上げた。本人に自覚はないのだろうけど、身長さがあるので絶妙な上目遣いになる。その小さな口が紡ぐ言葉を聞き逃すまい、と少しだけ顔を寄せた。

「………か、彼女にしてくれますか」

彼女にしてくれますか。
それが一体、どういった意味を持つ日本語だったのか理解するのに数十秒を要した。コートの中では一瞬のうちに状況を把握して何手も先を考えて手足を動かすことが出来るのに、外ではどうにも上手く動かせない。時折、脳への酸素の送り方が分からなくなる。たっぷり考え込んで、ようやく事態を理解し始めた。息を吐き出して、吸い込む。全身に回っていた緊張が両手分だけ溶けて、とりあえず顔を覆った。勢いに任せた僥倖か、日頃の努力の成果か、すぐには判断がつかない。それでも、どうやら幸運な結果を得られたらしいことは分かった。

「あー……よろしくお願いします」

見合わせた顔は同じくらい赤かった。次に口を開くのはどちらか、と探っているところ、ゆっくりしてくればいいのにクロは早々に戻ってきた。もっと遊べ、とばかりに一鳴きしてぐるぐると回っている。仕方ねえな、とひっくり返して腹を撫でる。照れくささを誤魔化すためにクロを利用した。彼女も同じ気持ちだったのか隣に蹲み込んでクロに話しかけている。そんなことをしている場合ではない、もっと二人で話すべきことがあるだろう、と思うのにぎこちなく過ごすばかりだった。そうこうしている内に傾いていた夕陽は完全に沈み、夜が訪れていた。
そろそろ彼女を帰さなくてはならない。せめて家まで送るくらいは許されるだろうか。道中に話すくらいは。さて何から話そうか。どこか遊びにでも誘おうか。
そんなことで頭がいっぱいの黒尾は、明日からテストであるという現実をすっかり忘れていた。デートに誘ったところで「テストが終わったらね」と返されて、果たして今から帰って勉強が手につくだろうか、と頭を悩ませる羽目となる。

 

 

 

君じゃなきゃダメなんてことはない(宮侑)

 

 

 

今日の日直は誰だ。先生はそれを確認しないままわたしに目を止めた。運が悪かったとしか言いようがない。諦めて集めたクラス全員分のノートを職員室まで届け、戻った教室にはもう誰もいなかった。
次の授業は移動教室だということをすっかり忘れていた。何で誰も教えてくれんかったんや、と薄情な友人たちへの文句を考えながら自分の机へ駆け寄ると、机に突っ伏していたらしい誰かが身じろぐのが目に留まった。自分以外にも取り残されている人間がいたらしい。

誰にも起こしてもらえんかったんやろうか。かわいそうに。

哀れみと親近感を込めて視線を送ると、その誰かは眠そうな目を擦りながらその大きい身体を起こして、ゆっくりと伸びをした。まだぼんやりとした様子で瞬きをしている。寝る子は育つ、というけれど、授業が終わっても気付かないなんて、よっぽどだ。去年同じクラスだった彼の片割れは睡眠より食事の方を大切にしているようだったから、双子でもやっぱり違いがあるんだろう。机から教科書と筆記用具を揃い終えた頃、ようやく現状を飲み込んだらしい宮くんは教室をぐるりと見まわして、最後にこちらに視線を止めた。ぱちり、と目が合った。まだ覚醒できていないのか、他に誰もいない教室を見ても焦る様子はない。無視して置いていくわけにもいかず机3つ分向こうに届く声を出す。

「次、移動やで。早よ行かんと」
「……みょうじさん戻ってくるん待っとってん」
「へ」

間抜けな声が漏れた。
待ってた? わたしを? 聞き違いだろうか。いつも一緒にいるグループのコたちならともかく、挨拶以上に関わったことのないわたしを待つ理由は思い当たらない。それとも知らないうちに何かやらかしたんだろうか。この間のバレー部の試合、サーブのタイミングで声を上げたのはわたしじゃない。誤解なら誤解、と言えばいいだけだけど他に何かあっただろうか。

「なかなか話す隙ないから困ったわ」
「なに、わたし、何かした?」
「そんなんちゃうけど」

動揺して声の上ずったわたしを宮くんは鼻で笑った。感じ悪い。人を小ばかにしたように斜めに見た態度があまり好きじゃない。まともに話したこともないから、これは完全に外から見たイメージの話だったけれど、やっぱり間違っていないと思う。

「話そうと思って、待っててん。みょうじさん、俺と付きおうてくれへん?」
「はあ?」

今度は意思を持って、間の抜けた返答をした。へらり、と笑う宮くんは、発した言葉を「どこに」とも「何に」とも補ってくれない。なら、付き合って、の真意は思い浮かぶソレで合っているんだろうか。

「イヤやけど」
「即答かい。もうちょい考えてもバチ当たらんで」
「だって宮くん、わたしのこと好きとちゃうやろ」

世の中には、一言も話したことがなくても相手が好きだと告白してしまえる人が居るのは知っている。いわゆる一目惚れとか、そうじゃなくてもこっそり見てました、とか、そういうやつ。でも、宮くんとは同じクラスなのに挨拶程度以上を交わしたこともなければ、吊り橋効果に陥るようなイベントが発生した記憶もない。寧ろ女子グループで話しているとき五月蠅そうに睨まれた覚えがあるくらいだ。
そういえば、あのときも机に突っ伏して寝てた気がする。休み時間とはいえ、そんな宮くんの席の近くで騒いでたのは少し悪かったと思うけど、そんな怒らなくてもいいじゃないか、ってくらい怖い目を向けられた。女子の一人はちょっと怯えてたし。わたしはわたしでムッとして、気持ちのこもってない謝罪を投げつけたと思う。それに対して宮くんは嘲笑するような顔をして、でも何も言わずにまた寝てしまったんだっけ。
うん。やっぱり、宮くんはわたしのことを好きじゃない。寧ろ敵意すら感じている。だから、どんな意図で発した言葉なのか、考えてもさっぱり分からなかった。

「好きやで?」
「なんで? どこが?」
「顔。かわええもん」

頰が引き攣る。顔が理由。そこそこ傷付く告白のひとつだ。宮くんなら分かりそうなものだけど、違うんだろうか。それとも、嫌がるのを分かって言ってるんだろうか。分からない。はあ、とたっぷり溜息を吐き出した。

「……そんなんで付き合うたりせん」
「悪い話ちゃうと思うけどなあ」
「何が?」

わたしがイライラしはじめたのが面白いのか、宮くんは楽しそうに笑っている。その大きな身体を背もたれに預けると、椅子はギイギイと軋みを上げた。あの椅子はほんとうにわたしの椅子と同じサイズなんだろうか。

「俺な、何や知らんけどモテんねん」
「知っとるけど、それが何でわたしに関係あるん」
「モテるんは悪い気せんけどな、知らんブタからの告りで時間とられるんウザいんよ。なら特定のカノジョ作ればーって言われてな」
「幾らでもおるやろ、宮くんの彼女なりたいコ」
「でもバレーの邪魔になるような女いらんし。どっち取るって言われたらバレー取るし。なら、俺のこと好きとちゃうコがええな、って思ってん。せやけどせっかくならかわいいコのがエエやん? それに、そっちかて知らん男からの告白ウザいなー、って思っとるやろ? 俺おったらそういうん減ると思うけど。な、利害一致しとるやろ」

いっそ清々しいほどのクズな回答だった。眉間の皺は取れそうにない。

「メリットよりデメリットの方が大きいやろ、そんなん」

すごく最低なことを言われてる気がするし、そういう問題じゃないとも思うけど、つい利害の部分に反応してしまった。それに、ここで彼を詰ったところで効果はないだろう。
数分前まで、何の冗談だ、と笑い飛ばしてしまうつもりだったけど、笑顔を崩さないくせに目は笑っていない宮くんを見ると、どうやら言葉は本気らしい。でも宮くんの言うメリットはメリットにならないのはお互いに、だと思う。彼に彼女が出来たところで稲荷崎でバレー部の芸能人みたいな人気ぶりは変わらないだろうし、その彼女になる方は周りからの好奇心や嫉妬に覆われるようにしか思えない。自分がその貧乏くじを引いた状況を想像すると、ゾッとする。

「ほな試しでええで? 今カレシも好きなヤツも居らんのやろ?」
「無理やから。もうええやろ。授業行くわ」
「もう始まんで?」

宮くんが言うと同時、チャイムが鳴った。遅刻して教室に入れば先生に叱られるし目立つことは必須だ。かといって、このままサボればどこで何をしていたか友だちに聞かれるに決まってる。そうだ、気分が悪くなって休んでいたことにしよう。宮くんに引き止められて告白紛いのことされてました、なんて言わなければ誰にも分からない。

「俺、好きなコには結構尽くす方やと思うけどなあ」
「でもわたしのこと好きちゃうやろ。わたしも宮くんを好きやない」
「好きやで? そやってはっきりモノ言うとことか」
「わたしは違う」
「そんなん後からついてくるかもしらんやろ」
「そうやけど!」

そうかもしれないけど、そんな一般論が誰にでも当て嵌まるわけじゃない。

「ほな、決まり。今日からよろしくな、なまえ」
「は?」
「俺、保健室でサボるわ。一緒いく?」
「行かん! っていうか、よろしくって……」
「付き合ったら好きになるかもしらんから付き合ってみるんやろ」
「そんなこと一言も、」
「キライじゃないなら好きなるかもやろ。ならええやん」

小綺麗な顔に嘘くさい笑顔を乗せて、話は終わり、とばかりに宮くんは立ち上がりすたすたと行ってしまった。追いかければよかったのに、何が起こっているのか理解する方に脳のリソースを使ってしまい出遅れた。一人教室に取り残され、ぽかんと口を開けたまま立ち尽くした。正直、何が何だか分からない。

ただの冗談であればいい、と願った。昨日は結局あれから宮くんは教室に戻らず、放課後もエンカウントする間もなく部活へ向かったらしく真意が何だったのかを問いただすことは叶わなかった。憂鬱を抱えたまま登校すると、上履きに履き替えるところから周囲にじろじろ顔を見られてヒソヒソ噂されている気がした。その原因が何かなんて、考えたくもなかった。教室へ入ると、嫌な予感は的中した。

「なまえ、おはよ」

宮くんは手を振り、わたしの下の名前を口にした。宮くんの周りに集まっていた人たちが、一斉にこちらを向く。正直に、うげっ、と声が漏れた。そして案の定、続くクラスメイトの質問攻め。

なまえ、いつの間に!? アツムみょうじのこと好きやったんやな〜、両想いやったん!? 何しかオメデトウ! 新カップル誕生かぁ!

わたしの回答を待たず矢継ぎ早。あからさまに戸惑っているわたしをヨソに、全ての質問に宮くんが勝手に回答した。それによるとどうやら宮くんは、わたしのことが去年から密かに気になっていて同じクラスになって接点を探り最近ようやく話すようになって距離を詰めて告白して渋々ながらOKを貰ったので付き合うことにはなったけどまだ片想いのようなものである────という設定、らしい。昨日のうちに拒否できなかったわたしには空笑いする以外、最早どうすることも出来なかった。ずぶずぶと底無し沼に沈んでいく自分の絵面を頭に描く。やがて予鈴が鳴り、席に着くと、今度はスマホの通知がぽこぽこと上がる。同じクラスはもちろん、他クラスの友人たちからも噂の真偽を確かめるような内容がどんどんと送られてきていた。誰も彼もが、どういうことだ聞いてないぞ、と問いかけている。そんなの、わたしが一番聞きたい。返信どころか既読にする気にもなれず、通知を放置したまま授業へ集中することにした。

現実逃避をしたところで、それは一時的な回避に過ぎず、休み時間の度に質問攻めは行われるし、友人たちを無視し続けることもできない。正直に打ち明けるかどうか悩みに悩み、それはもう悩んだ結果……打ち明けるタイミングを逃した。幸いにも宮くんの設定ではわたし自身の感情に嘘を吐く必要はなかったから、戸惑っているうちに周りは勝手に解釈した。本気か気まぐれかは知らないが宮くんと付き合うことになったラッキーガールの一人。そういうことになった。それはトレンドになる話題ではあるけれどいつまでも続くほど珍しいネタでもなく、一週間もすれば周囲はすっかり日常に戻っていた。宮くんは宮くんで部活が忙しいらしく一緒に通学するようなことはなく、お昼休みすら近寄ってこない。未だ互いの連絡先も知らず、あれから二人きりで話すこともない。つまり、わたしたちはただのクラスメイトのままだった。

今回ばかりは、保健室のお世話になることを決めた。いつもは割と何ともないのに、午後から酷くなった。お腹も頭も鈍い痛みに襲われている。そして何より、眠気が酷かった。普通の授業なら舟を漕いでも何とかやり過ごせるけど、とても体育を頑張れる体力じゃなかった。
保健室に入ると先客が居た。見慣れた……とは言い難いが、毎日見ているその顔と同じ顔、がベッドに腰掛けていた。どうやら先生は不在らしい。
治くんの方の宮くんとは、去年クラスが一緒だっただけでなく、今年も委員会が同じで接点がある。双子のもう一人よりはまだ自然に話すことができる相手だ。

「みょうじさんやん。どないしたん」
「ちょい貧血で……宮くんは?」
「俺は眠いから寝にきた」

正直か。いや、眠いから来たのは私も同じだけど。

「宮くんもそんなサボりするんやね」
「俺”も”?」
「あ、いや……」
「侑と付き合うてるてホンマなんやな」
「あ〜、うーん、うん……」
「何や、煮えきらんなぁ。侑のヤツ、いつもやったらべらべら彼女のハナシすんのに、みょうじさんのことは何も喋りよらん」
「そう、なんや」

正直、宮くん……侑くんの方、の、真意は未だに掴めないままだった。聞き出そうとしないわたしも悪いけど、また煙に巻かれそうな気がして半分諦めていた。無気力過ぎる、だろうか。宮くんが本当に告白してくる女子を減らすためだけにわたしを選んだんだとしたら、よく人を見ているな、と感心してしまいそうだ。とはいえ、このままでいいのかは疑問だった。本当に付き合っているのか、と聞かれてハイと答えられないような関係が健全と言えるだろうか。それに、もしわたしが本当に宮くんを好きになったらどうするんだろう。
片割れのことなら何か分からないか、と尋ねるため口を開きかけたけど、宮くんは「ほな、おやすみ」と言ってベッドのカーテンを閉めてしまった。まぁいいか、と空いた方のベッドへ上がり、同じようにカーテンを閉めた。

「やっと起きた。もうHRも終わったで」
「……宮くん?」

微睡から目を覚ますと、室内の人物は先ほどの銀髪から金髪に変わっていた。カーテンの内側、椅子を引っ張ってきてベッドに片肘を立ている。
体育どころか午後の授業が終わっても一向に教室へ戻らないわたしの荷物を、彼氏だからと押し付けられたらしい。

「ごめん、ありがと」
「寝顔はかわいないな」
「は!? ひど!」
「ウソウソ。カワイイカワイイ」

完全に棒読みだった。じとり、と睨め付ける。それでも、貴重な放課後にわざわざ来てくれたのだからあまり強くも言えない。

「起きんかったらどうしよ思たわ」
「そうやん。宮くん、部活は?」
「俺はバレー部やで」
「それは全校生徒が知っとる」
「今度の試合、応援来てな」
「クラスみんな行くからいつも行っとるよ」
「つれへんなあ。そこはガンバッテ、とかそんなんでええねん」
「ガンバッテ」
「棒読みか!」

仕返ししてやった。宮くんのテンポいいツッコミに思わず笑ってしまう。すると宮くんは「お、やっと笑ったな」とニヤニヤするので、何となく顔を背けた。

「部活は今から行く。そっちは? なまえて、ナニ部?」
「……好きとか言うなら少しは予習し。帰宅部や」
「はは」

乾いた笑い。やっぱり宮くんは、適度にわたしに興味がない。

「ちゃんと一人で帰れるん?」
「大丈夫。……ありがと」
「ほな帰ったらちゃんと報告な。連絡先教えてや」
「え、うん」

強く断る理由もなく連絡先を交換した。
それから少しずつメッセージのやり取りをするようになった。学校で話す頻度は変わらなかったけど、文字とスタンプだけで話す宮くんは思っていたよりも嫌なヤツではなかった。部活お疲れさまとか今日のご飯は何だとか、わたしはお昼はお弁当を持参して教室で食べることが多いけど宮くんはお弁当だけじゃ足らなくて購買で何か買い足してること、そのまま部室だったり片割れや角名くんの居る1組で食べていること、朝練があるから朝早くてしんどいけどバレーは苦にならないということ、部長の北さんは怒らなくても怖くて逆らえないんだということ、アランくん先輩のツッコミは欠かせないということ、朝から双子でケンカしたけどもう理由は忘れたこと、来週の球技大会は所属している部活の種目には出られない決まりだからバレーが出来なくて残念だということ、それからおやすみとかおはようとか、そんな話をした。少しずつ宮くんの情報が増えていった。何だか本当に彼氏彼女みたいだ。

現役バスケ部員はバレーへ、バレー部員はバスケへ。背が高いから、という安直な理由で球技大会の出場種目が決まるのはどこのクラスも同じらしい。宮ツインズの激戦は、それはもう凄い大歓声だった。観覧者は女子も男子も関係なく大盛り上がりでその戦いを見守った。いつもの試合とは違いお祭り騒ぎなものだから、本人たちも大はしゃぎ。身体だけでなく口も忙しそうな試合だった。結果は、うちのクラスの勝ち。尚、高身長二人は、もう少しやる気を出せ、とクラスメイトたちに怒られていた。

男子のバスケが一試合終わった後は、隣の体育館で女子のバレー。これもまた、対するは1組だった。球技大会は、所属してる部活の種目には出られない。けれど、そのルールは経験者には当て嵌まらないから、うちのクラスはやったことがある人を中心にチームを組む方針だ。つまり、わたしもバレーに出場する。中学の部活を引退してからは、体育の授業くらいでしかやらないバレー。正直、まともに動けるか心配ではあったけど、賞品がかかっているのだからやるしかない、と腹を括った。
結果は、快勝だった。

「びっくりした。みょうじさん、バレーしとったんやな」

汗を拭っていると、話しかけてきたのは治くんの方の宮くんだった。バスケで負けてしまって、もう午前の出場予定はないから出歩いているらしい。

「バレーな。中学までやけど」
「さっき思い出したけど、たぶん試合見たことあるわ」
「ほんまに!?」
「侑のやつ、それでか」
「何が?」

ならしゃあないな、と宮くんは笑った。何がしゃあないの、と聞いてみたけど、一人で納得して満足したようで、何も教えてはくれない。

「保健室んとき、みょうじさんと話した言うたらアイツ拗ねとったで。お前の許可いるんかって聞いたら、許可とってくれな困る、やと」
「ええ……」

何やらむず痒い話だった。ここ暫くで、仲は随分とよくなった。よくなったと思う、けど、宮くんは別にわたしのことを好きなわけじゃない、と思う。『思う』というのは、少し願望が込められてしまっているかもしれない。ああ、イヤだ。
バレーをしてたから何だって言うんだろう。バレーは嫌いじゃなかったけど、高校まで続けるほど夢中なわけでもなかった。ただそれだけ。推薦はあったけど、別に将来有望だったわけじゃない。親は好きなことをやれ、と言ってくれたからバレーは続けず、ただ家から比較的近くて学力の見合う稲荷崎を選んだ。男バレが強豪なのは知ってたけど、特別に意識はしなかった。宮くんはわたしを見たことあると言ったけど、わたしが宮ツインズを知ったのは高校に入ってからだ。考えても、何も繋がらない。さっぱり分からない。後で宮くん本人に聞いてみよう。

そういえば、今日は日直だった。球技大会の日に日直やなんてラッキーやな、と言われながら日誌を書いた。書くことなんてロクにない一日だったわけだから適当で構わない。球技大会はみんなの頑張りの結果、2組は見事に学年優勝を飾った。おめでとうございます、というわけで、つまり、今から陽気な打ち上げだ。早くしろ早くしろ、と周りから急かされて書き上げたソレを待って職員室へ走った。
先生の長話にたっぷり付き合わされてから戻ると、教室は宮くんを残して誰も居なくなっていた。宮くんはずり落ちそうな座り方でスマホをいじっている。戻ってきたわたしに気がついているだろうに、顔を上げる様子はない。

「あれ、皆は?」
「先行け言うた」
「なんで」
「何で、て。カレシやから?」

尤もらしいことを嘯くものだから、こちらもあーそーいえばそーやったね、と適当に返してやる。席に戻り荷物を持って、なら早よ行こ、と促すも宮くんは全く動く様子がない。

「どうしたん」
「んー?」
「……何かあるん?」
「まぁ、ある。今日の動き、へっぽこもええとこやったなぁ。相手がド下手糞やったからええけど、あれでよう勝とう思たな」
「いやいや十分やったやろ、帰宅部やで? 何年バレーやってないと思っとるん」
「知らん。何でやってないんや」

何年、と言ったのに何で、を聞かれても困るる。宮くんの主張は、わたしにとって完全にいちゃもんだった。バレーのことだから熱くなるのか知らないが、わざわざ待ってまで言うことだろうか。いつもの軽口か、と顔を見れば、宮くんは全く笑っていなかった。一体、何だというのか。宮くんはスマホを机に置くと、睨み付けるようにわたしを見た。思わず怯む。

「治から聞いたんやろ」
「宮くん……治くん? わたしの中学の試合見たことある、ってハナシ? それが何なん?」
「それだけか。何やねん。お前ムカつくねん」

非もないのに貶されてお前呼ばわりされて、仕舞いにはムカつくとか言われて意味が分からない。ムカつく、のはこっちだ。不穏な空気を感じて、宮くんから距離を置いたまま続きを聞く。

「ほんま腹立つ。俺が見たお前は今日みたいなへっぽこちゃうかった。トス呼んで飛んで誰よりも点入れてカッコ良かったのにすっかりヘタレになってもて、真面目に勉強しよるし休み時間は女子でペチャクチャ呑気に喋りよるし帰宅部ってありえんやろ。それが今日はへっぽこのくせにいっちょまえに勝っとるし。大体、俺と付き合うてなったら喜べや!全然話しかけてこーへんし、一緒に帰りたいて言うどころか部活も見にこーへんし連絡先すら聞かんしどないやねん!何で俺から聞かなあかんねん!あまつ治クンって何やねん俺は宮クンのままやのに何でアイツは治クンやねんおかしいやろ、カレシ俺やぞ!」

それは自白だった。捲し立てられたけど、褒めてるのか貶されてるのか分からない。その上、後半はまるで嫉妬のようなことまで言い出す始末。治くん、と言ったのは別に会話上ややこしいと思ったから口にしただけで普段からそう呼んでいるわけじゃないけど、論点はそこじゃないだろう。正直、さっきよりもワケが分からなかった。

「えーと、宮くん、わたしのこと好きやったん?」
「ンなわけあるかい!……って言うはずやったのに、何やねん」
「いや、何やねんはこっちのセリフやし」
「お前なんか好きちゃうわ。やから惚れさせて捨てたろ、思ったのに」
「え、そんな計画やったん?」

思わず口が開きっぱなしになる。宮くんはそっぽを向いてしまった。近付くと、机に突っ伏して顔を隠してしまう。覗く耳が少し赤い。

「ムリやったけどな」
「つまり、わたしのこと嫌いやったわけや」
「嫌いとか言うてへん」
「何で無理なったん」

うっさい、と言いながら宮くんは少しだけ顔を上げた。

「……バレーしとるとき、やっぱカッコ良かったわ」
「わたしが?」
「おん。全然動けてない、へっぽこやったけど」

へっぽこは余計や、と思いながらも腹立たしさはもうすっかり抜けてしまった。何だか身体の力も抜けてしまって、宮くんの横の席を借りて座る。

「何か宮くん、思ってたんと全然ちゃうわ」
「思てたって、何なん」
「人を小馬鹿にして後ろで意地悪く笑ってるタイプやと思ってたけど、ウソ吐かれへんのやね」
「俺、性格悪すぎやん!」
「宮くんの日頃の行いやろ」

思ったままを言えば、宮くんは納得がいかない様子で、笑ってしまう。宮くんは深く溜め息を出しながら、今度こそ身体を起こした。

「宮クン、ってソレもうやめへん? 名前呼んで」
「…………侑くん?」
「なに? なまえ」

用があって呼んだわけじゃないのに、返事をされる。嬉しそうに笑うので何だか照れ臭い。

「……なぁ、何でバレーやめたん。推薦とかもあったんとちゃうん」
「あ……ったけど。他にやりたいことあったから。勉強と両立できるほど器用ちゃうし」
「やりたいことって?」
「親にも言うてない」
「そぉか。ならええわ」

言いたいことを散々言って満足したのか、もう毒気は漂っていなかった。
侑くん、は、わたしのことを好きじゃない。言葉通り、虫よけにするためにたまたま選んだだけで、選んだから一応相手をしようとしてるんだと思っていた。蓋を開けてみれば、そんな複雑な感情を抱かれていたなんて、気付くはずもない。

「なあ、俺と付き合うて」
「……もう付き合うてる」
「なら好きなって」
「…………うーん…」
「そこは『もう好き』って答えるとこやろ!」
「知らんよ」

テンポのいい会話に、顔を見合わせて笑った。それから、侑くんはいつものニヤニヤを作って言った。

「俺はほんまに好きなってもた。どーしよ」

知らんよ、とは言うわけにはいくまい。

 

 

 

好きになったから負け(及川徹)

好きになったから負け

 

 

 

好きだ、って気付いたのは、失恋と同時でした。

 

 

 

その男が告白されるなんて別に珍しいことでもないだろう。とはいえ、実際そのシーンに遭遇して他人の告白の一部始終を聞いてしまう、なんてそうあることではない。
だけど、わたしは2回目だった。

昼休み、中庭にある自販機のいちごオレが売り切れていた。だから校舎の端にある自販機まで探しにくるしかなかった。だって、どうしても飲みたかったんだもん、いちごオレ。無事に買えたことに満足して機嫌よくパックを手にした、その瞬間だった。校舎の角を曲がった向こうから聞こえてきたのは、少し震えた女のコの声で「好きなんです」の一言。出来ることなら続きを聞くことなくこの場を立ち去ってあげたいけれど、何せここは行き止まりで教室に戻るには植木に突っ込むか彼らの横を通るかしかない。葉っぱだらけになったところで物音で気付かれてしまうのは必須。ならば何も知らない聞いてないふりで横切るか、事が終わるまで空気になるか……。そうして逡巡している間に会話は進み、彼女がどうして彼を好きになったのか、それは彼女が音楽室に忘れた楽譜を彼、及川徹が、優しくも教室まで届けたのがきっかけでした────なんてストーリー展開が始まってしまった。
失敗した。もたもたしてるうち完全にタイミングを失い、出るに出られなくなった。いちごオレはここで飲むしかない。諦めて、手元のパックにストローを突き刺した。

校舎の角から見えてしまったその姿、「告白されている側」は同じクラスの及川徹、その人だった。「している側」の女のコに見覚えはなく、及川に敬語を使っているので1年か2年か、とにかく後輩なんだろう。相変わらず他学年にはモテる男だ。ちらり、と覗いてまた校舎の陰でなるべく小さくなる。聞いちゃってごめんね、の気持ちとこんなところで告白するなよ、の気持ちが拮抗する。どちらにせよ、それが終わるまでわたしに出来ることは気配を消すくらいだった。

及川のことが好き。そう自覚したのは、どう考えても失恋の瞬間だった。彼にカノジョが出来たとき。だからってどうするわけでも別になくて。だってそうでしょう、仲のいいクラスメイトというポジションに甘んじて3年になるまで過ごしてきて、彼女が居るのに今更「好きみたいです」なんて言えるわけがない。負けると分かってる勝負なんてしたくない。けれど、あのコは違うらしい。気持ちを伝えたいだけなのかそれとも勝算があってのことかは分からないけれど、見てるだけのわたしより勝率はあるだろう。

「かっこわる……」

壁に背を預けたまま呟いて、ずるずるとその場にしゃがみ込んだ。

「及川先輩、彼女と別れたって聞きました」

 

 

 

────別れた。

震えた声の女のコは、確かにそう言った。
つまり、それはあのときの、1回目の遭遇のときの彼女か。

 

 

そんなに昔でもない。あのときも今と同じように校舎の陰に隠れて、及川が告白されるのを聞く羽目になった。但し、隠れるのが下手すぎて盗み聞きしてることはあっさりバレてしまっていたんだけど。
あのときは好きです、と言うだけ言って答えも聞かず女のコが走り去ったその後、一人になった及川に見つかり、あからさまに動揺した。狼狽えた。ただ盗み聞きしてしまったのが気まずかったから、だけじゃない。不可抗力のようなものとはいえ及川が告白を断らなかったことに対して、密かに、確かに、平手打ちされたような衝撃を覚えていたのだ。
それが何なのか、なんて考える間もなく元凶だろう男と対峙する羽目になったのだから、普段通りに振る舞えなくても仕方なかったと思う。
わたしを見つけた及川は、いけ好かないいつもの笑顔を打ち消してこちらを見下ろしていた。わたしはその口から言葉が飛び出す前に『相変わらずモテますね』なんて軽口を叩いた。そうしたら及川は『そうだね。どうすればいいと思う? 付き合ってみようかな』と宣った。
どう思う? なんて聞かれて。うまく頭の回らないわたしは、口の中がカラカラに乾いているのを自覚しながら、それでも動揺を悟られないよう精一杯の虚勢を張って、いいんじゃない、なんて答えていた。かわいいコだったじゃん、付き合ってみれば。なんて。思ってもない言葉を。

及川くんまた告白されたらしいよ、とは女子の間でよく上がる噂ネタのひとつだった。最も、その対象が及川でなくても、誰が誰を好きらしい、誰と誰が付き合って今度は別れた、告白した告白された、なんて思春期の学生には大好物の話題。かく言うわたしも例外ではなく、少女マンガやドラマの感想を話すのとは違う身近な恋の話題をドキドキしながら聞いたり話したりした。

及川徹という男は、軽薄なようでいてその実、向かい合ったものに対しては酷く真面目だった。オンオフの切り替えがはっきりしている。些か、はっきりしすぎている、とも感じるくらいに。
全部見透かしたようなその目が、はっきり言って苦手だ。

 

 

物思いに耽けるうち、告白は失敗に終わったらしい。よく聞いてなかったけど女のコが走り去ったのが足音で分かった。
はあ、これでやっと教室に戻れる。そう安心して、ゆっくりと立ち上がった。

「盗み聞きなんて随分と悪趣味だね」
「ひっ」

驚きに悲鳴を上げて、原因となる声がした方を振り返れば、角の向こうに居たはずの男が穏やかじゃない顔をこちらへ向けていた。

「また覗き見してたの」
「ひ、人聞き悪いこと言わないで。そっちが後から来たんでしょ。こんなところで話してる方が悪い」
「俺が場所決めたわけじゃないしー」
「だったら、わたしが不可抗力ってのも分かるでしょ」
「まあね。あーあ、相変わらずツイてない」

それは完全に、わたしが言いたい。
及川はもう一度「本当にツイてない」と呟いた。頭の後ろで手を組み、曲げた背中でやるせなさを物語っている。告白してる姿を見られたわけじゃあるまいし、そんなに嫌がらなくてもいいと思う。わたしだったらどっちも見られたくないけど。

「で、どう思ったの」
「は?」
「聞いてたんでしょ」
「どうすればいいと思う、って? 知らないよ、そんなの。今カノジョ居ないんでしょ。好きにすればいいじゃない」

相も変わらず可愛げのない返ししか出てこない。だけど他に何て答えろっていうんだ。彼女なら中途半端にせずにちゃんと断ってよと怒れるだろうし、親友と呼べるくらい親しければもっと良い相手が居るよなんて嘯くことも出来たかもしれない。そのどちらでもないから、わたしに言えるのはやっぱり、及川の好きにすればいい、の一言だけ。
逡巡しても至極真っ当な返答だと思えたのに、及川は片眉を吊り上げて不服そうにした。

「全部 聞いてたわけじゃないの」
「たまたま居合わせただけで、わざわざ聞き耳立てないよ。また新しい彼女できるんだなー、って思っただけ」
「あのねえ……別に来るもの拒まず、ってわけじゃないんだよ。誰でも良いわけでもない」
「なら、好きなコとしか付き合わないの?」
「それは……まあ、後から付いてくるかなって思うときもあるケド」

そうでしょうね。そうだろうね。
男ってやつは、なんて括るつもりじゃない。男女関係なく、そういうことに潔癖では世の中こんなに彼氏彼女に溢れていないだろう。

「ふーん」
「何その反応」
「別に。愛するより愛される方が幸せってこともあるよね、と思って」
「みょうじは好きじゃない奴とは付き合えない?」
「え」

好きな人だろうが好きじゃない人だろうが、そもそも誰かと付き合ったことがない。好きな人に告白する勇気もない。告白されたこと、は、あるけど学年が同じなだけで知らない人だったし、付き合うとか考えられなくてその場でゴメンナサイをした。

「わたしは、無理かなあ……何か、付き合ってみても虚しくなりそう」
「……ふーん」
「聞いといて何なの」
「別に。そりゃそうだよね、って思っただけ。何もないよ。もう教室戻ろう」

無駄話を始めたのは自分のくせに、背中を向けてさっさと行ってしまう。わたしは慌てて追い掛けた。

「付き合ってから好きになるかも、なんてのはさ、好きな相手がいないときにしか言えないんだよね」

後ろ頭を掻きながら、及川はそんなことを呟いた。その表情は見えない。
思わず顔をこわばらせた。及川のその理論で行くなら、好きな人とじゃなきゃ付き合えないと答えたわたしは好きな人がいます、と言ったようなものじゃないか。その相手が及川だ、ということまでは分からないとしても、好きな人がいるなんて及川にバレたいネタではない。相手が誰か聞き出そうとして、からかってくるに決まってる。
そう思って構えたのに、及川は予想に反して静かに言葉を続けた。

「もう懲りたからしないよ」
「え?」
「好きじゃないコとは付き合わない」
「そう、なんだ」

よく分からないけど、わたしの話じゃなかったらしい。よかった。拍子抜けしてついでに肩の力も抜けた。
そうこうしているうち、とっくに予鈴が鳴り終わっていることに気付き、わたしたちは慌てて教室へ駆け込んだ。

 

 

 

純度高き泡沫(赤葦京治)

 

 

 

 

 

 

 

授業を終えて、いつもなら部室へと急ぐところ、今日の放課後はまず図書室へと向かう。当番の為だった。
試合で公休、ちょうどその日に委員会を決めたらしい。居ない奴が悪いのだ、と容赦の無かったクラスメイトたちの手により決められた俺の役割は図書委員。司書がいるとはいえ、定められた時間には図書室でじっとしていなければならないアレだ。よりにもよって、放課後に影響する活動内容のものだった。今は少しの練習時間を失うのも惜しい。彼らと共にバレーを出来る時間は限られている。
本を読むのは好きだ。先輩たちが回し読みしている漫画雑誌も悪くないけど、それよりは細やかな文字に綴られた世界を追う方が好きだった。また、誰かがひっきりなしに訪れる場所で読書に没頭できるかといえばそうではなく、図書当番は読み手に適した時間とは言えない。それでも比較的人気のある委員だと認識していたけど、うちのクラスに限りそうではなかったらしい。文化祭や体育祭の実行委員にならなかっただけずっとマシだけど。放課後が奪われるとはいっても、一ヶ月に一度か二度のこと。適当にやり過ごせばいい。
そう思っていた、のに。その集まりに肩を落として向かったのは初日だけ。定例会議も、放課後の当番も、何ら苦にはならなかった。偏に彼女が居たからだ。
通常なら同学年同クラスの二人で組まれる昼と放課後の当番は、用事があれば生徒同士での交代を許されている。当番の順番について説明がなされた日、彼女は委員の中で数少ない顔見知りであろう俺に交代を依頼してきた。理由も聞かず、速やかに自分のペアにあたる女子を差し出して、彼女と俺が同じになるように設定した。
今はテスト期間でも何でもない普通の平日、つまり放課後に図書室を利用する生徒はそう多くない。渡り廊下を抜けて、校舎とは別棟にある図書室の扉を開けると、大きめのカウンターから期待通りの人が顔を上げた。

「赤葦くん。こんにちは」
「……こんにちは」

関係の出来ていない間柄特有の、ぎこちない挨拶を交わす。
カウンターの中、その手元には教科書とノートが広げられており、どうやら彼女は宿題をこなしていたらしい。その隣に鞄をおろし、席に着く。

「すみません。遅くなりました」
「大丈夫だよ。うちのHRが短いだけだから」

彼女のクラスのHRが早く終わった理由については「議題もないのに長引くと木兎がうるさいんだよね」ということらしい。

「早く終わって喜んでたけど、赤葦くん借りるよって言ったら、忘れてたらしくて拗ねてた」
「今日の放課後は当番で遅れるって、朝練のときにも言ったんですけどね」
「赤葦くん、愛されてるねえ」

彼女と俺の共通の話題といえば、この委員会と木兎さんたちのことくらいだった。木兎さんに限らず、三年の先輩たちは彼女と顔見知りらしい。

「愛されてるかどうかは分かりませんけど、欠かせないと思われてるなら嬉しいです」
「赤葦くんの名前、一日に何回も聞かされてるんだよ」
「そういうみょうじさんも木兎さんと仲良いですよね」
「そうかな。まあ、ずっと同じクラスだしね」

もっと聞きたいことがあるのに、返却を依頼する生徒が訪れ、会話はそこで途切れてしまった。彼女が対応している間に、自分が借りていた本の返却処理を行う。先程の生徒が返却したものと共に本棚へと戻すべく、立ち上がって目的の場所を探し歩く。区の図書館ほど広いわけではないけど、近隣の学校よりはずっと広いんじゃないだろうか。だというのに、今日の利用者はカウンターからは死角になったテーブルに一人二人散る程度だった。
カウンターへ戻ると、彼女は宿題を終えたらしく、広げていたノートを閉じて鞄にしまうところだった。

「今日、利用者少ないですね」
「そうだね。小さい声なら話してても問題なさそう」
「話したいことがあるんですか?」

俺はありますけど、とは言わずに意地の悪い聞き方をした。案の定、彼女は「え、や、そういうわけじゃないけど」と狼狽えてしまった。何かしら話題を探そうと目を泳がせたあと、思い付いた、とでも言うように視線をこちらへと向けた。すべてが表情に出ていてとても愛らしい。そんな彼女の口から飛び出た話題はとても予想していなかったもので、今度はこちらが狼狽える番だった。

「赤葦くん、彼女いるの?」
「……居ません、けど、何ですか急に」
「いや、赤葦くんモテるから彼女の一人や二人居るのかなって」
「一人も居ませんし、モテた覚えもないです」
「球技大会のとき、皆カッコイイって言ってたよ」
「……そういうのはモテるって言わないです」

そうなの? と首を傾げた彼女に苛立ちを覚える。どんな意図で投げられた質問なのか、と少しは期待したのに、好奇心以上の興味がある風でもない。
球技大会といえば、木兎さんが木兎さんらしく輝いていた一日だった。運動部は所属している部活と同じ種目に出られないルールだけど、そんなことは関係なくサッカーだろうとバスケだろうと木兎さんは今年も大活躍だった。選手としてだけでなく応援に回ってもその姿はとにかく目立つ。わざわざ来なくてもいいのに、俺が出る試合にも木兎さんは現れた。同じクラスである彼女もその隣に連れて。バレーならコートの外に誰が居ようが気にならないのに、あの時ばかりは少し集中を欠いたことを認める。

「その”皆”の中にみょうじさんは入ってないんですか」
「へ、ああ、うん。赤葦くんカッコよかったよ!」
「完全に言わされてるじゃないですか」
「そんなことないって」
「バレーだと木兎コール凄いけど。赤葦くん、バスケ大活躍だったもん! 赤葦くんのクラスのコたちも声援すごかったし、やっぱり人気者なんだなぁって」
「やっぱり、の意味が分からない」
「赤葦くんこっそりモテるタイプなんだよ、きっと。普段から分かりやすくキャーキャー騒ぐんじゃなくて、想い募らせてるファンが多いんじゃない?」

ますます意味が分からない。こっそりモテるって何だ。それに、こっそりだろうが堂々だろうが、モテたところで。

「……好きな相手からじゃないと、意味無いでしょう」
「え、好きなコ居るんだ!?」

彼女は少し声が大きくなったことを自覚したのか、しまった、と開いた口を手で覆う。心配せずとも、さっき出て行った生徒が恐らく今日最後の利用者で、後はもう誰も訪れないだろう。彼女もそれに気付き、辺りを見回して照れ笑いをした後、輝いた目でこちらを見上げる。
それはどうせ女子特有の、恋話好きが見せる好奇心なんだろうけど。気に食わない。

「居ますよ、好きな人。全然脈なさそうですけどね。男として見られてないというか」
「意識させるところからってことかー」
「意識……ですか?」
「うん。そんな風に言うってことは、知らない人ではないんでしょ。男として見てもらうところから勝負スタート?」

初手からペースを崩される。もっと、相手は誰だとかどんな人だとか、好奇心でも切り込んでくれたら、それはアンタだよと言わんばかりに、少しでも自分かもしれないと考えてくれるように攻め返すのに。変化球を使うつもりだったわけでもないが、よほど正攻法じゃないと通じないらしい。

「……どんなときに意識しますか?」
「え、わたし?」
「参考にするんで」
「参考になるようなこと言えるかな。うーん…………」

腕を組んで考え込み始めた。何となく、緊張して、彼女に見つからないように深呼吸する。やがて、何やら思い出したように鞄に手を入れ「返すの忘れるところだった」と一冊の本を取り出し、壁際の本棚へと歩いていった。
……溜め息を零してもいいだろうか。

「あ、さっきのことだけど。意識っていうか、ドキッとするとき」

次に借りる本を選んでいるのか、新刊コーナーを眺めながら、彼女は話題を戻した。一応、考えてくれていたのか。

「赤葦くん背が高いから、高いところにあるもの取ってあげるとか! それとも壁ドン顎クイ? キャラじゃないか。やっぱり、視線合わせる回数増やしたり……あとは手を握ったり抱き締めたり! どう?」
「最後ちょっと直接的過ぎませんか」
「えー、でも手っ取り早いじゃん」
「怖がられたり嫌われたりしたらどうするんです」
「そしたらすっぱり諦められるじゃん。何も起こらないまま終わるよりいいでしょ」

他人事と思ってるだからだろう、無邪気な笑顔で無責任な返答をくれた。残念ながら、全く以て他人事ではないんだけど。
目を合わせる? 同じクラスならそうやって詰まる距離があるかもしれないけどそもそも絶対数が少ない。毎日顔を合わせられるわけじゃない。こうやって月に一回程度の委員会ごと、朝練後の昇降口、購買……ほとんど俺か彼女のどちらかが木兎さんと一緒だ。
怖がられたり嫌われたりして、すっぱり諦める、なんてことが出来るだろうか。少なくとも当分は引きずる自信がある。バレーに少しも影響しない自信はないし、泡になって消えてしまいたくなるかもしれない。
それでも何もしなければ何も変わらない、とは尤もな指摘だった。
どうにでもなれ、と少しばかり自棄になった。立ち上がり、カウンターを出て彼女の元へと歩み寄る。

「まぁ……それもそうですね」

どうだ良いアイデアだっただろう、とばかりに胸を張る彼女を至近距離から見下ろすと、その耳にかけられた髪がぱらりと落ちた。その一房をすくって再び耳にかけてやる。彼女はきょとん、とこちらを見上げている。その口が何かを発する前に、身体の横にあった手に、触れる。驚きで強張るのが分かったけど、気付かないふりをして指を絡めた。

「あ、かあしくん……?」
「何ですか」
「なにしてるの」
「意識させようとしてます」
「いやいや、わたしにしてどうするの。好きなコにしてよ」
「だから、そうしてますよ。好きな相手じゃないと意味ないんで」

目を見開いて。やがて微かに朱の刺す頬、泳ぐ瞳。すぐには泡にならなくてもいいだろうか。
あからさまに狼狽える彼女が一歩、また一歩と後退るので、その背中が本棚に当たるまで追い詰めた。

「視線を合わせて、手を握って、壁ドンでしたっけ。あ、届かない本があれば取りましょうか。それから……何でしたっけ?」
「ああああかあしくん」
「何ですか」
「ちょっと状況が読めないんだけど」
「みょうじさんのことが好きなので、意識してもらえるように、行動してます」
「ひぇ……」
「嫌だったら、そう言ってください。すっぱり諦めるんで」

視線を逸らすように俯くので、空いている方の手でその顔に触れて上を向かせた。

「い、イヤとかじゃ」
「良かった。なら……続けてもいいですか?」
「続けるって、何を」
「どうしたら意識してくれるのか。もっと、教えてください」

彼女は金魚みたいに口の開閉を繰り返した。その様子が面白くて可愛らしくて、緊張で凝り固まっていた表情が思わず綻んでしまう。彼女は別に俺のこと好きでも何でもなくて、でも今は少し意識してる。手放しで喜べる事態じゃないけど悲観もしない。ここがスタート地点だと言ったのは彼女自身だ。

「俺のこと、意識してください」

絡めた指を少しだけ離し、中指を手のひらに這わす。熱を持った瞳が、俺の幻想じゃありませんように。

 

恋する乙女を侮るなかれ(岩泉一)

 

 

ピアス開けたら運命変わるって言うじゃん。

別に校則で禁止されてるわけじゃないけど、バイトや部活でダメだからとか親が嫌がるとか、そんな理由で同じ学年でも開けてる生徒は少ない。ピアス開けてるコはオシャレで可愛くて大人っぽくて、でもちょっと不良かも? なんて斜めに見たりして、つまりちょっと憧れてる。私の場合、部活はもう引退したしバイトもしてないし親は好きにすればって言う。だから開けてもいいかな、って思ってたけど、やっぱりちょっと勇気が必要で、でもその勇気を出せばちょっと何か変わるんじゃないかな、踏み出せるんじゃないかな、ってそう思った。

思い立った吉日はもう一週間前のこと。ドキドキしながらピアッサーを買って帰って、片耳にバチン。正直、すごく痛かった。
開けたはいいけど、しばらくは何となく気恥ずかしくて髪を下ろして隠してた。でも、安定するまでは付け続けないといけないし、っていうか、そろそろ見てほしい。誰に、って友だちとか好きな人に。

昨日は体育もあって、髪を久しぶりに結い上げた。覗いたピアスは思った通り女子からは好評で、いいなとか可愛いね、とか言ってもらえた。だけど彼はどうだろう。考えてなかったけど、もしかしてこういうの好きじゃないかも。不良だって思われたらどうしよう。そうじゃなくてもちょっと引かれる? どうしよう、早まったかも。なんて今更考えても遅いけど。

昨日はアップにした髪を、今日はまた下ろしてる。耳はすっぽり隠れて、ピアスは見えない。

好きな人がいる。隣のクラスの岩泉一。3年になって、初めてクラスが離れた。正直すごくショックだったけど、幸いだったのは岩泉の幼馴染にあたる男子と同じクラスになれたこと。それまで大して話したこともなかったけど席が前後になったラッキーに乗じていっぱい話しかけてちょっとは仲良くなった。と思う。岩泉は教科書を忘れただの何だのって休み時間に来ていたり、たまにだけど同じ部活のコたちで集まってお昼を食べていたりする。……もちろん、私に会いにきているわけじゃないから話す機会なんて滅多にないんだけど。クラスが離れたら接点なんてそうそうない。だから、話せた日はちょっと幸せ。

不幸だったのは、その幼馴染である及川徹に、私が誰を好きなのかバレたこと。「すぐに分かったよ」なんてしたり顔で言われたときは、赤くなるやら青くなるやら忙しかった。それから及川は、岩泉が教室に来る度にニヤニヤしながらこっちに視線を送ったり関係ないところで同意を求めてきたり、私がすぐ後ろに居るからってちょっとわざとらしい。「岩泉にはゼッタイに余計なこと言わないで」と訴えれば、その表情を崩さないまま「言わないよ」と即答だった。但しその顔には『言わないよ、こんな面白いこと』と書いてあったけれど本人に伝わらないならこの際、何でもいい。
そう思った、けど、本当は仄めかしてくれるくらいならいいのに、って考えてた。他人の口からハッキリ告白されちゃうのは嫌だけど、もしかして、って私を意識してくれたらいいのに。なんて、他力本願がダメなのは分かってる。だから、運命変えて、一歩踏み出さないといけないの。だから、がんばるから、今日も会えますように。拳を握って気合入れて、上靴に履き替えた。

「……よしっ」
「靴替えんのに何を張り切ってんだよ」

後ろから送られた声が誰のものなのか瞬時に分かって、身体が硬直する。
ちょっと待って。まだ心の準備が出来てない。

「い、岩泉! おおおおはよう」
「おー」

何どもってんだよ、と見せる笑顔が朝から眩しい。エナメルのバッグに付いているゴジラにも心の中でこっそりとおはようを言った。髪の毛跳ねてないかな、とか服に糸くず付いてないかな、とか慌てて身なりを気にしてしまう。でも、もし寝癖がついてたら「跳ねてんぞ」って飛び出た髪を持ち上げて笑ってくれると思う。

自分も靴を履き替えた岩泉は私の横に並んで歩き出した。どうやら教室まで一緒に行けるらしい。顔が緩みそうになるのを必死で耐えて真顔を保つ。幸い、身長差のおかげで少し俯いてしまえば私の表情は岩泉に見えないだろう。

階段に差し掛かったところで「おまえ今日英語あるか?」と聞かれて、今日の時間割を頭に浮かべる。「あるよ」と返せば「ん」と意図の分からない応えが返ってきた。どうしたんだろ。「教科書でも忘れたの?」と尋ねれば、少し言い澱んで「……辞書」と呟いたので、被せるように「わたし! 持ってる! 貸せるよ」と訴えた。

「サンキュ。昼にでも行くわ」

分かりました。お昼休みは学食にもどこにも行かず教室で待機します。何なら私から届けに行ってもいいくらいだけど、それを言うと何で?と聞かれてしまうだろうから大人しく待つことを約束した。登りきった階段からは私の教室の方が近いから、また後でね、と手を振り、隣の教室へ進む岩泉を見送った。朝から遭遇できて、後でまた会えるなん嘘みたい。英語の辞書、ありがとう。ピアスよ、ありがとう。ピアスあんまり関係ないか。

「話してたのに置いてくんだよ! 岩ちゃんってばヒドイ」

廊下側の一番後ろの席が今の私の配置。目の前に座るのは体躯の大きい男子だけど、黒板を見るのに支障はない。
本鈴ギリギリに教室に滑り込んできた及川は、先生がまだ来ないのをいいことに愚痴がてら今朝の岩泉が何故一人だったのかを教えてくれた。

「私じゃなくて本人に言いなよ」
「でも岩ちゃんの話なら聞いてくれるでしょ? ちなみに話題は、クラスの女子で好みのタイプ」
「何それ、聞きたいようで全然聞きたくない!」
「まっつんは結構ハデめの女のコ選んでて意外だった。マッキーはクラスには居ないとか言って怪しかったな~。俺はちゃんと後ろの席のコって言っといたよ」
「私じゃん。はいはい、お世辞ありがと」
「岩ちゃんはね、聞き出す前に逃げちゃったんだよね」

ザンネン、と言って及川は笑うけれど、私は全然笑えなかった。クラスで好きなタイプ、って何それ。せめて学年にしてよ。頬杖をついて不貞腐れる。授業が始まっても、ちっとも集中できなかった。
そんなの、そんなの、答えなくたって聞かれたら考えるじゃん。芸能人で好みのタイプだったら知りたいよ、参考に出来るし、もしかして自分と全然違うタイプかもしれないけど付き合いたい相手と好きな芸能人って違うもんだし。でも、同じクラスなんてそんなの、ちょっと好みだな、が次の瞬間「好き」に変わるかもしれないし、もしかしたらもう好きなコが居るのかも。だから及川たちに言わなかったのかも。ひょっとしたら、好きなだけじゃなくてもう付き合ってるかもしれない。5組の女子って誰が居たっけ。仲良いコもあんまり居ないから、岩泉が誰とよく話してるのかも分かんないし聞けない。どうしよう。バレーばっかりしてるからって油断してた。去年までは「比較的仲の良い女子」ポジションを維持してたと思うけど、クラスが離れたら話す機会もめっきり減って単なる「去年クラス一緒だったヤツ」だ。モブ。完全にただのモブ。何で去年のうちに動けなかったんだろ。わたし、何も行動出来ないまま失恋? そんなのって、そんなのって、ない。

考えてもどうしようもないことをぐるぐると考えてたら、あっという間にお昼休みになってしまった。

「及川。さっきの古典、ノート見せてもらえないかな」
「いいけど、珍しいね。寝てたの?」
「起きてたけど、後半聞き逃した」
「恋煩いかな? 想われる方は幸せだね」

本当に思ってる? 今の私には、からかいに悪態を返す元気もない。ハイどーぞ、と手渡されたノートを受け取ってお礼を言う。

「ありがとう」
「購買行くから何か買ってこようか」
「ほんと? 助かる。でも牛乳パン以外でお願いします」

自分のついでに、とお使いを引き受けてくれた及川に有り難さを感じながらも軽口を返す。及川は「牛乳パン美味しいじゃん! 早く行かないとなくなっちゃう」とぷんすかしながら購買へ駆けていった。走らなくても牛乳パンは売り切れないと思う。

学食へ誘ってくれたクラスメイトにも断りを入れて、借りたノートをパラパラとめくった。几帳面にまとめられている。たまに端っこに書かれているのはバレーのコート上の配置だろうか。ノートを見る限り授業は真面目に聞いているようなのに、それを遥かに上回る熱量でバレーが存在していた。6つの印のうち、どれが岩泉だろう。授業内容を書き写しながら頬が緩む。

「……試合、見にいきたいな」
「来ればいいべ」

ひとり言のつもりの呟きを拾われてしまって、思わず身体が硬直する。声をもとに見上げれば、思った通りの人物がそこに立っていた。

「練習試合でも結構見に来てるヤツ居んぞ。ここんとこは毎週どっかしらとやってるし、見にくればいいだろ」

言いながら、岩泉は目の前の席に腰掛けた。疲れてなんかないだろうに、はあ、と大きく息を吐き出していた。

「ば、バレー部の試合だなんて言ってない」
「でもそうなんだろ? 及川目当ての女子なんていつも居るから別に目立たねえよ。つーか、去年はたまに来てたろ」

何で来なくなったんだよ。そう言われて、言葉がぐっと詰まった。だって去年はクラスに私が岩泉のこと好きだって知ってる友だちが居て、そのコは及川ファンだったから一緒に行けたんだもん。だけどクラスが離れた上に最近彼氏ができたらしくて放課後はいつも一緒に帰ってて、つまり「友だちが及川ファンだから」って言い訳が出来なくなった。
それに去年までなら「及川くん格好いいね」なんてテキトーなこと言えたけど、及川と同じクラスになって冗談も言い合うような仲になってしまった今は周囲にまさかガチ恋と思われかねないそんな行動はできないというかしたくない。及川ファンはもとより、誰よりも岩泉に勘違いされたくない。「一人だと行きづらいよ」と無難な答えを返せば、片眉を上げて怪訝な顔。納得のいく返答ではなかったらしい。

これ以上追及されても困るので、話題変換を試みる。

「そういえば岩泉、お昼ごはんは?」
「教室で食ってきた」
「早。及川、購買向かったところだよ」
「ん。さっきすれ違った」

ごはんは食べた。及川が居ないのも知ってる。なら、何だ。あれだ。辞書だ。

「辞書だよね。ロッカーに置いてるから取ってくる」
「後でいい」

立ち上がりかけたけど手ぶりで制止されて、再び腰を下ろす。

「ノート写してんだろ。別に急がねぇから」
「う、うん。分かった」

言葉に甘えて、再び二冊のノートへと向かう。早く書き写さなくちゃ。量はそこまで多くないから、集中すれば及川が戻ってくるまでに終わるだろう。そう、集中さえできれば、だけど。正面からの視線が刺さってシャーペンの芯は何度も折れた。手汗までかいてる。本当にただ書き写すだけの作業になってしまい、内容なんてちっとも頭に入って来ない。さっきの授業中よりずっと散漫だ。ウソ。全神経が目の前の人に奪われてる。
なんで、ずっと見てるの。

「あの……岩泉?」
「ん?」
「見られてると緊張するんだけど」
「あー、悪ぃ」
「なに、何かヘン?」
「いや……お前さ、」

視線を泳がせ言い澱んだ岩泉がやっと目を合わせてくれたのに、いつもいつでも空気を読んでくれそうで敢えて読まない男が元気よく帰ってきて、その場の空気を断ち割った。

「たっだいまー! 牛乳パン2つあったから買ってきてあげたよ!」
「2個も食うのかよ」
「これは頑張ってるコにプレゼント」

購買の袋が目の前に掲げられた。机のかろうじて空いたスペースにクリームたっぷりの四角いパンが置かれる。それを予測しなかったわけじゃないけど、得意げに笑う及川を見るとげんなりした。

「牛乳パンは要らないって言ったのに」
「こっちも要らない?」
「わー、焼きそばパン! 及川すごい! ありがとう」

走る意味ないじゃん、なんて思ってごめん。競争率の高い焼きそばパンをゲットしてくるなんて、さすがです。一転して感謝の意を示して及川を拝む。これ以上ペンを握っていても身にはならない、と大人しくノートを閉じた。財布を取り出そうとして、鞄ごとロッカーにしまっていたことを思い出した。辞書と一緒に取ってくるね、と二人に声をかけて立ち上がった。

「岩ちゃん辞書忘れたの? いつも置き勉して忘れるとかないのにめずらしー」
「うるせぇ」

及川が戻ってきて緊張がとけた気がする。変な空気もなくなった。よかった。ぎこちなくて変に思われただろうか。岩泉と話すなんて、別に珍しくもない。去年クラスが一緒だったことを知ってる人は多いし、周りの皆も別に気にしてない。のに、どうしても意識してしまってダメ。毎日会えるわけじゃないから想いが募るのか、顔を合わせたときにソレが溢れ出しそうになる。顔に昇りかけた熱を下げるために両頬をぺちんと叩いた。
小走りで戻ると、及川の席には変わらず岩泉が座っていて、その後ろの私の椅子は及川が占領していた。

「ちょっと及川、どいてよ」
「だって俺の席とられてるんだもん。あ、半分こして座る?」
「座りません!」
「えー、空けるのに」
「こっち座れ」

岩泉が傍らへと立ち上がり、及川の席に私を促す。好きな人の前で立ち食いはしたくないから、ちょっと渋々だけど空いた椅子に腰を下ろした。牛乳パンを取り出して頬張り始める。

「私の席そっちなんだけど」
「まぁまぁ、いいじゃん」
「……お前ら、仲良いのな」

岩泉の一言に対して「良くない!」と「そうでしょー」が重なった。ニヤニヤしている及川をキッと睨む。鼻唄でも歌いそうなムカつく表情だ。仲は良い、良くなった、と思う。でも。

「そ、そういえば岩泉、さっき何か言いかけた?」
「なになに」
「及川が騒がしく戻ってくるから会話途切れたの! ごめん、何だった?」
「いや……、別に大したことじゃねぇけど」

少し泳いだ視線をこちらに戻し、頰をかく岩泉を見上げる。す、と伸ばされた手が、髪を避けて、直接触れる。

「お前、耳あけたんだなと思って」
「ひぁっ」

触られた瞬間、背中に電気が走ったみたいで、自分でも聞いたことないような高い声が出た。近くにいたクラスメイトの何人かどうした、という顔をしてこちらを見ている。顔に熱が昇るのを自覚した。どうしよう。すごく恥ずかしい。岩泉の顔が見れない。どうしよう。

「岩ちゃん、それセクハラ。耳って性感帯なんだよ」
「お前の発言のがよっぽど問題だべや!」

ゴッ、と鈍い音が及川の方から届いた。どうやら鉄拳を食らったらしい。羞恥に苛まれながらも恐る恐る顔を上げると、バツの悪そうにする岩泉の顔が心なしか赤い。私の顔は、もっと赤いだろうけど。

「あー……悪かった。そんなに驚くとは思わなくて」
「いや、うん、私こそ大きい声出してごめん。び、びっくりして……」

暫しの無言。他のクラスメイトは多分だけど平常運転に戻っていて、後ろの座席からはうう、と苦しむ声が聞こえて、だけど私はそれどころじゃない。

「……わっ、私、飲みもの買ってくる!」

気まずさに堪えきれず逃げ出した。おい、とか何とか、不自然すぎる行動を咎める声に追われた気がするけど、ぱたぱたと廊下を駆け抜けた。一段飛ばしで階段を降りて、自販機のある中庭は進まず、それ以上降りられない階段裏へと入り込み、ぴたりと足を止める。

「はぁ〜〜〜」

大きい大きい溜息を吐いてその場にしゃがみ込んだ。耳に触れる。サーモグラフィーで測ったらそこだけ真っ赤になってるんじゃないか、というくらい熱い。

「おい」
「うわっっ!」

驚きで飛び上がった。そのまま立ち上がれたらよかったのに、間抜けにもバランスを崩し膝をつく。心臓をばくばくさせながら、声の方を振り返る。
追い掛けてくるなんて思ってもなかった。

「何やってんだ、ほら」

差し出された手を取れば、想像よりも勢いよく引かれて持ち上がった身体はそのまま正面の岩泉にぶつかった。「軽……」と呟かれた声で距離の近さを意識する。重なったままの手と、支える為に掴まれた二の腕が熱い。お互いの息遣いを感じる距離。頭は、パニックだ。

「お前、ほっそいな。ちゃんと食べてんのか?」
「えっ、んん!?」

掴まれたままの二の腕をむにっと揉み込まれた。驚いて声を上げそうになるけど、先程の気まずさを思い出して口を抑える。岩泉はというと、分かりやすくやばいって顔をして私から離れた。

スキンシップの多い人だ、と思ったことはこれまで特にない。及川をどつく姿はよく見るけど。あれだ。試合後に後輩の頭を撫でてたみたいな。あれかも。可愛がってる犬に触るみたいな。相手が女子だとか、多分そんな深く考えてなかったんだと思う。きっとこれまで私のこと全然意識してなくて、なのに、そうじゃないって気付いたんじゃないか。もしかして。

だったら、そんなに悲観する状況でもない。

「……悪い。軽率だった」
「いや、気にしてないから! それに、その……岩泉なら、いいよ」

他のコにはしてほしくないけど私ならいい。他の人には触られたくないけど、岩泉ならいい。
結構、思い切って言った。顔を見上げて反応を窺う。目をまんまるにした岩泉は、バツの悪そうに視線を逸らして頭をガシガシと乱した。

「あー…………そういうこと言うの、やめとけ」
「だ、だって本当のことだし!」
「勘違いされたらどーすんだよ」
「勘違いじゃなかったら、いいじゃん」

岩泉の顔に「?」が浮かぶ。そりゃそうだ。自分でもいきなりすぎるとは思う。でも。

自棄か、賭けか。

「好きな人だから、いいって言ってるの!」

恥ずかしくて顔は見れなかった。俯いたまま、ギュッと拳を握り込む。

やがて響く予鈴がやけに遠くに聴こえた。岩泉は何も言ってくれなくて、でも様子を窺うこともできなくて、チャイムが鳴り終わるのを黙って待つしかなかった。
そして、再び静かになった。これ以上、沈黙に堪えられそうにない。

「……授業始まっちゃう! もう戻らないと」

はは、と乾いた笑いで誤魔化した。
そそくさと横をすり抜けて去ろうとしたのに、再び腕掴まれて留められた。

「待て。ちょっと……考えてるから、逃げんな」
「え、考えてるくれるの?」
「そういう意味じゃねえ」
「違うなら今聞きたくないから放してほしいんだけど」
「そうじゃねぇって……くそ、カッコわりぃ」

空いた手で額を覆い、溜息を吐く岩泉を下からじっと見つめる。隠せていない耳が赤かった。これは、期待とまではいかなくても、頑張っても、いいんだろうか。考えなしに引き止めたんだったら、さすがに落ち込む。

「……岩泉のこと、格好悪いなんて思ったことないよ。試合観に行くのだって岩泉を見たかったからだし、クラス離れてショックだったし、今日だって朝から話せて嬉しかっ、ぶ」
「ちょっと一回黙れ」

今度は明確な意思を持ってその胸に抱き込まれた。頭を押し付けられた、と言った方が近いか。私が口を開けば開くほどにその顔を茹でだこのようにしていった岩泉は、こっち見んなとばかりに私が顔を上げることを許してはくれない。こっからどうしろと言うのだ。
案外、煮えきらない。

「岩泉。私ね、ピアス開けたの。あと少し前に前髪切ったし、メイクも変えた……気付いてなかったと思うけど」

誰の為だと思う? なんて言ったら、鬱陶しいと嫌われるだろうか。でも、他でもなく岩泉に見て欲しかったからなんだと、言わなくちゃ伝わらなさそうだから。
後頭部に置かれた手から少しずつ力が抜ける。その隙を逃さず、岩泉の顔を見上げた。

「ピアスは気付いただろ」
「へ、変じゃない?」
「……かわいいと思った」

それまで逸らされていた視線が真っすぐにぶつかった。
射抜かれて卒倒しそう。どうしよう。今、すごく間抜けな顔をしている自信がある。
言葉の出なくなった私をよそに、遂に本鈴が鳴ってしまった。

やばい、午後の授業が始まっちゃう。机の上には焼きそばパンが出しっぱなしのはずだし、サボりなんてしたことない。岩泉だってそのはずだ。でも、今、戻りたくない。岩泉も同じ気持ちだったらいいのに、とその表情を確認すると、眉間に皺を寄せたまま耳まで真っ赤になっていた。どうしよう、かわいい。やっぱり授業行きたくない。
及川、焼きそばパン食べられなくてごめん。後でちゃんと食べるから、先生にはどうか適当に誤魔化してください。
神様、ピアス様、ありがとう。思い切って良かったです。まだまだここからが勝負だと思うけど、でも。

運命、変わりそう。